秋山夫人の墓所(あきやまふじんのぼしょ)
更新日:2023年6月7日
松戸市指定文化財 史跡 昭和41年5月17日指定
秋山夫人は、甲斐(かい)武田家の家臣秋山虎康(とらやす)の娘で、名をお都摩(おつま)(下山殿)といいました。武田家が滅んだ後、15歳で徳川家康の側室に入り、生まれた信吉(のぶよし)はのちに小金の領主となりました。お都摩は、天正(てんしょう)19年(1591年)に病没し、本土寺の参道脇に葬られます。
後に、信吉の甥にあたる第二代水戸藩主徳川光圀(みつくに)が鷹狩りで小金を訪れた際に、埋葬地の目印である松を発見し、貞享(じょうきょう)元年(1684年)には本土寺の本堂脇に立派な墓石を建て、手厚く供養しました。なお本土寺には、お都摩の父・秋山虎康の墓石もあります。
所在地
平賀63 本土寺
交通
JR北小金駅より徒歩11分
案内図
【市指定史跡】秋山夫人の墓所
松戸市平賀63 本土寺