メッセージ「教育はみんなで-意識の変換」
更新日:2017年4月12日
市立高校の生徒さんと伊藤純一教育長
メッセージ
皆さん、こんにちは。教育長の伊藤純一です。新年度もよろしくお願いします。
29年度はこのページでの発信回数を増やします。教育に関する課題が複雑化・多様化する中で、その回ごとに論点を絞ったものにしたいと考えています。
まず1回目のテーマは「教育はみんなで-意識の変換」です。
三月末、残念ながら大きな事件が発生しました。また、その二か月ほど前にも大事な命を失ってしまう事案が発生しております。松戸市のかけがえのない児童生徒の生命を失ってしまったことは誠に残念でなりません。心から哀悼の意を表するとともに今後繰り返さないためにも防犯、安全等に努めてまいります。
私事になりますが、私の故郷は宮城県石巻市です。今年は3.11から6年目であり、私も家族や親族の7回忌を迎えました。あのとき、突然に降りかかってきた現実は、厳しいものでした。そしてまた、残された者、生きている者の責任を考えさせられた経験でもありました。
物事は必然的に起きます。前述の事案にも理由、原因は必ずあるわけですから、この事態を重く受け止めるとともに、命の大切さ、安全の重要さを改めて考え、その取組に向き合いたいと思います。
ケヤキッズ保育園開園式
ふだんの生活では「生きている」という大切さは伝えにくいものです。その一方で、現代の社会ではTVなどのメディアから、ニュースのみならずドラマ等でも暴力場面や生命の危機に関わる映像が何の配慮も無しに伝えられることに違和感を強く感じます。
また、ゲームやVR(バーチャルリアリティ)等による現実世界との乖離(かいり)の日常化という現象が不安視されます。そのような社会を造ってきた私たち大人に全責任があることですが、このような状況が幼児や青少年に与えているマイナスの影響について真正面から議論すべき時期だと考えます。
「生命」というものは尊いものであり、壊れやすいものだと言うこと、大事にしなければいけないことを大人が子供たちにもっときちんと伝えなければならないし、マイナスの状況は極力削減しなければならないのです。軽く扱うと取り返しのつかないことになると言うことを私たち大人が伝えなければならないのです。
また、安全についても、再考すべき時期かと考えます。
外国では、児童生徒の登下校ルールに保護者同伴というものがある例を多く見ます。当然毎日であり、その国の状況などからやむを得ない状態なのでしょうが、今回の状況を踏まえますと日本もそのような意識を持たざるを得ない状況なのでは?というレベルの危機感を覚えます。
以前から日本という国の安全性については、信頼が大きく、私たち自身にも自負がありました。恐らくは市民の皆様も同じ思いを持っていると思いますが、「安全」という二文字の内容がどうやら変化してきていると考えざるを得ません。安全の質が変化しています。
しかし、私たちの意識の中にある以前からの「安全」の感覚と現状とのずれがあり、そのずれから今回のような事件が起きてしまったという気がしてならないのです。
社会の弱者である子供たちの「安全」について、私たち大人がみんなで守っていくしかない、ということを痛切に感じています。
ところが、果たして、子供たち自身の危機感はどうでしょうか。冒頭に述べたような社会の中で、子供たちに危機感を訴えても、どの程度、受け止めているかは懐疑的になってしまいます。高度情報化社会が与えているマイナスの部分を放置しているわけにはいきません。その原因を作っている私たち大人の文化、私たちが享受している現在のこの文化の内容や方向性が正しいのかどうか。きちんと問わなければなりません。
その上で、「絶対的な安全は無い」という意識をみんなで持ち、知恵を出し合い、みんなが力を合わせて地域の安全を守ることができるように「教育はみんなで」を体現していきたいと願っています。
本年度、最初のページ更改が厳しい内容になっていることは残念でなりませんが、子供たちの教育のために、「教育的な文化づくり」のために全力を挙げて、取り組んでいく所存でございます。本年度もよろしくお願いします。
※次回のテーマは「教育はみんなで-教育的な文化」の予定です。
開園式園児さんたちと記念撮影
関連リンク
生涯学習部
学校教育部
