史料集1「徳川昭武幕末滞欧日記3,700円(650g)」【売り切れました】
更新日:2022年9月25日
徳川昭武幕末滞欧日記
監修
宮地正人
ページ数
275ページ(モノクロ写真2ページ)
内容
刊行によせて 松戸市戸定歴史館
監修のことば 宮地正人
凡例
第一部 徳川昭武日記
- 御日記 慶応3年1月3日(1867年2月7日)から慶応4年6月14日(1868年8月2日)
- 徳川昭武仏文滞欧日記 慶応4年6月14日(1868年8月2日)から9月4日(10月19日)
- 徳川昭武仏文帰航日記 慶応4年8月30日(1868年10月15日)から11月4日(12月17日)
第二部 文書
- 駐日フランス公使ロッシュ書簡翻訳 将軍徳川慶喜宛 1866年12月21日(慶応2年11月15日)
- 外国奉行向山一履書簡写 大目付永井尚志・目付原忠成宛 慶応3年1月29日(1867年3月5日)
- 水戸藩士菊池為政:井坂貞行連署写簡写 水戸藩士三輪杉理宛 慶応3年1月29日(1867年3月5日)
- 勘定格陸軍附属調役渋沢栄一書簡写 目付榎本道章・原忠成宛 慶応3年1月29日(1867年3月5日)
- 奉行向山一履書簡写 大目付永井尚志・目付原忠成宛 慶応3年2月7日(1867年3月12日)
- 外国奉行向山一履書簡 外国奉行塚原昌義等宛 慶応3年2月16日(1867年3月21日)
付録 日本国書草案 - 外国奉行向山一履書簡写 大目付永井尚志・目付原忠成宛 慶応3年2月21日(1867年3月27日)
- 昭武一行マルセイユ到着時の当地新聞記事等翻訳
(1)昭武一行の到着を報じたマルセイユの新聞翻訳 1867年4月3日(慶応3年2月29日)
(2)マルセイユ到着の際の昭武口上翻訳 1867年4月3日(慶応3年2月29日)
(3)ルクセンブルク公国の件に関するフランス外務大臣ムスティエ公爵の布告翻訳 - 外国奉行向山一履書簡 大目付永井尚志・目付原忠成宛 慶応3年3月5日(1867年4月9日)
- 外国奉行向山一履書簡 外国奉行塚原昌義等宛 慶応3年3月5日(1867年4月9日)
- 外国奉行向山一履書簡写 大目付永井尚志・目付原忠成宛 慶応3年3月11日(1867年4月15日)
- 水戸藩士菊池為政書簡写 沢水某・篠田某宛 慶応3年3月11日(1867年4月15日)
- 近日雑報抄出 現地新聞の昭武一行関係雑誌記事翻訳
- 外国奉行支配組頭田辺太一等書簡 外国奉行支配組頭宮田正之等宛 慶応3年4月7日(1867年5月10日)
付録 シツクドバサン書簡翻訳 - 外国奉行小出秀実帰国報告写 慶応3年4月7日(1867年5月12日)
- 外国奉行向山一履書簡写 外国奉行塚原昌義等宛 慶応3年5月14日(1867年6月16日)
内状1 外国奉行向山一履書簡写 外国奉行宛 慶応3年5月13日(1867年6月15日)
内状2 ラシェクル新聞ロシア皇帝アレキサンドル二世暗殺未遂事件記事翻訳 1867年6月8日(慶応3年5月6日) - 日本名誉総領事エラール書簡翻訳 駐日フランス公使ロッシュ宛 1867年8月10日(慶応3年7月11日)
- 将軍徳川慶喜書簡 徳川昭武宛 慶応3年8月26日(1867年9月25日)
- 将軍徳川慶喜書簡 徳川昭武宛 慶応3年8月28日(1867年9月25日)
- イタリア勲記仏文訳 徳川昭武宛、和文訳 1867年10月29日(慶応3年10月3日)
- イタリア勲記副状仏文訳 徳川昭武宛、和文訳 1867年10月29日(慶応3年10月3日)
- イタリア国王より勲章勲記の授与伝達書仏文訳 徳川昭武宛、和文訳 1867年10月30日(慶応3年10月4日)
- 外国奉行向山一履・栗本鯤連署書簡 外国奉行山口直毅等宛 慶応3年11月30日(1867年12月25日)
第三部 資料解題
松戸徳川家伝来の慶応三年遣仏使節関係資料について 柏木一郎
徳川昭武にとっての滞欧体験-「徳川昭武日記」を読む 大庭邦彦
徳川昭武の仏文日記 角山元保
あとがき 松戸市戸定歴史館
付録
索引
昭武関係年表
「徳川昭武仏文滞欧日記」原文 (1868年8月2日~10月19日)
「徳川昭武仏文帰航日記」原文 (1868年10月15日~12月17日)