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企画展「公爵 徳川慶喜家」

更新日:2016年11月24日

会期 平成28年10月8日(土曜)から12月23日(祝日)まで

前期:平成28年10月8日(土曜)~11月13日(日曜)

後期:平成28年11月15日(火曜)~12月23日(祝日)

 1902年6月3日、徳川慶喜は公爵を授爵しました。彼は最後の将軍を務め、明治維新に際して一時朝敵となり、「死罪」までも宣告されました。それから34年後、彼は一転して国家への偉大な勲功が認められ、最高の爵位を得たのです。明治維新の総決算として誕生した家が徳川慶喜家であったと捉えることも可能でしょう。
 同家は2代慶久、3代慶光と受け継がれ、華族制度の廃止とともに公爵家の歴史に幕を閉じました。本展では、4代目当主・徳川慶朝氏所蔵資料、さらに同家より古澤秀彌氏(徳川慶喜家4代家令)に譲られた資料などにより、同家の成立から終焉までの足跡を辿り、公爵家の内実に迫ります。

徳川慶喜家3代肖像写真
徳川慶喜家3代肖像写真(左:徳川慶喜、右上:2代・慶久、右下:3代・慶光)

展示構成

1. 慶喜、その前半生
徳川慶喜が将軍後見職、禁裏守衛総督、征夷大将軍として行った政治活動を紹介する。
2. 公爵家創設前夜
すべての官職から退いた慶喜は29年間、静岡で隠棲生活を送った。
後の公爵授爵に繋がるこの時期の意味を考える。
3. 公爵家の誕生と継承 ~慶喜から慶久へ
静岡から東京へ再び移住して約4年後、慶喜は公爵の位を授けられた。
その背景と意味を探り、徳川慶喜家の暮らしを「徳川慶喜邸日誌」の記述や写真、伝来品などによって紹介する。
4. 国際派公爵と有栖川宮最後の王女 ~慶久と実枝子夫人
慶喜の嗣子・慶久は、有栖川宮威仁親王の第二王女・実枝子女王を妻に迎えた。
慶久は、東京帝国大学を卒業、日本赤十字社や日華学会等に携わるなど国際交流の場で活躍した。家庭にあっては、実枝子夫人や家族、友人達とともに流行文化の最先端を享受する生活を送った。
5. 少年公爵と妃殿下 ~慶光と姉・喜久子妃
38歳の若さで父・慶久が急逝、公爵家はまだ幼い9歳の慶光に継承された。
慶光の姉・喜久子は、母方の有栖川宮家の祭祀を引き継いだ高松宮宣仁親王に嫁ぐ。
長じて宮内省に勤務、妻を迎えた慶光に戦争と時代の波が押し寄せる。
6. 公爵家の終焉
慶光が出征、妻・和子は子供たちを、職員達は公爵家の家政を、必死に守り抜いた。
慶光の帰還を経て、平穏を取り戻したかに見えた戦後、日本国憲法の施行に伴う華族制度の廃止によって、徳川慶喜家は公爵家45年の歴史に幕を下ろした。

本展覧会にあたり、徳川慶喜家4代目当主・徳川慶朝氏より、たいへん貴重な資料の展示許可をいただきました。
戸定歴史館の活動への深いご理解とご支援に心より感謝申し上げます。

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お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 戸定歴史館

千葉県松戸市松戸714番地の1
電話番号:047-362-2050 FAX:047-361-0056

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