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所蔵品の紹介(昭武ゆかりの品)

更新日:2013年11月25日

『緋羅紗地三葉葵紋陣羽織』 昭武所用

 昭武がパリ万博のために渡欧するに際して着用した陣羽織。万博主要行事終了後、昭武はヨーロッパ各国を歴訪したが、ベルギーでの閲兵式に紅の陣羽織を着用した事が記録に残っている。裏地に金糸をふんだんに使い、背中には三葉葵紋を切り嵌めの技法により表している。

『紅地雲龍牡丹蓬莱山文様繻珍直垂』 昭武所用

 繻珍とは文様が織り出された艶のある生地のことで、直垂は武家の礼装。十二色の糸に金糸を用いて、雲、龍、牡丹、蓬莱山などの文様が織成されている。これも昭武の渡欧に際して用いられたものだろう。

『紫地葵紋付袴』

 徳川昭武所用の袴。慶応3年1月11日、パリ万博参加のため横浜を出帆した昭武一行は、同年3月1日(1867年4月15日)、フランスの港町マルセイユに上陸した。宿泊先のグランド・ホテルで撮影された一行の集合写真には、この袴と思われる葵紋付袴をはいた昭武が写っている。将軍名代として、遙かなるパリへ向かい、わが国が初めて参加をしたパリ万博に列席した昭武の貴重な遺品と言えよう。

『錦袴』

 『紫地葵紋付袴』と同じく、昭武所用の袴。この袴が何時用いられたのかという記録は見あたらないが、サイズなどから考えて、葵紋付袴と同じ時期に用いられたものと推定される。だとすると、この袴も昭武と共に海を渡ったことになる。錦を生地に用いることから考えると、葵紋付袴よりは格式を重んじる場で着用されたものであろう。

『黒地葵紋散金蒔絵陣笠』

 先ほどの『紫地葵紋付袴』の解説で触れたマルセイユでの集合写真の中で、昭武の小姓頭取である井坂泉太郎がこれと同じデザインの陣笠を捧げ持っている。また、この陣笠が納められた桐箱には昭武がフランス行きに際して用いたものである旨の墨書があるので、これらのことから考えると、この陣笠は昭武がパリ万博参加に際して用いたものであろう。
 先ほど触れた桐箱には、同じデザインの陣笠が2点納められており、マルセイユでの集合写真に写っている陣笠は、この2点の内のどちからである可能性が高い。
 昭武は、万博の主要行事終了後、ヨーロッパ5ヶ国歴訪の旅に出る。イギリス訪問の際、その様子を報じたイラストレイテッド・ロンドン・ニューズには、陣笠をかぶり上陸する昭武の姿がイラストで掲載されている。

「徳川昭武肖像(ディスデリ撮影)」

 パリのディスデリの写真スタジオで撮影された束帯姿の昭武肖像。ディスデリは十九世紀のフランスを代表する写真家で、一枚のガラス原板に八枚の写真を撮影する名刺判写真の発明家としても知られている。この写真では八枚の内二枚は切り取られている。

お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 戸定歴史館

千葉県松戸市松戸714番地の1
電話番号:047-362-2050 FAX:047-361-0056

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