病院ボランティアが20周年を迎えました
更新日:2022年7月1日
2002年(平成14年) 藤塚会長が松戸市立病院(松戸市立総合医療センターの前身)病院長に就任した際に「松戸市立病院を明るくする会」として発足
会長 藤塚光慶
私の義姉が、築35年を過ぎて、外来、病棟の壁が汚れ、雰囲気も暗いので、絵画を飾って、「病院を明るくしましょう」という提案で発足されました。
会長には、篠原寛休元病院長、代表に針谷薫子、副代表兼会計に齋藤宏、他役員8名、顧問3名の構成でした。
針谷は銀座でギャラリーを経営していた絵画の専門家で、斉藤は「電通」出身で企画、運営に精通された方でした。
職員、知人に呼びかけをし、会員を募集し、外来案内、玄関の花壇の整備、職員による医事課前での演奏会をはじめました。
絵画、花、本などを購入する資金を集める必要が生じ、同年10月映画「ホームスイートホーム」の上映会を市民会館で実施しました。
20周年の歩み
2003年(平成15年)8月、第1回総会を実施 会の名称を「松戸市立病院ボランティアの会」と命名
活動報告は、映画の上映会、「ラムジカ・デイ・ピッコロピノ」による院内コンサート、外来案内、花壇の整備 絵画展示、松戸子どもの本ネットワーク(昭和58年結成、すでに小児科病棟で読み聞かせを実施)など。
活動方針案は、2回の院内コンサート、群愛子チャリティーコンサート、小児科外来ロビーのペンキ塗り、花壇の整備など
夫婦漫才 東京太・ゆめ子、川口ひろしによる演芸会を開催(旧病院・医事課前)
2006年(平成18年)6月 第1回 チャリティー寄席開催(市民劇場)
- 三笑亭夢楽
- 東京丸・京平
- 川口ひろし
- 三笑亭恋生
- 東京太・ゆめ子
2007年(平成19年)10月 第2回チャリティー寄席開催(市民劇場)
- ナイツ
- 三笑亭夢吉
- ニューマリオネット
- 東京太・ゆめ子
- 灘 康次とモダンカンカン
2009年(平成21年)6月 第3回チャリティー寄席 開催(市民劇場)
- コンパス
- 川口ひろし
- イエス玉川
- 東京太・ゆめ子
- ニューマリオネット
2012年(平成24年)2月第4回東日本大震災支援チャリティー寄席開催(市民劇場)
- カントリーズ
- ニックス
- 鏡味 味千代
- 川口ひろし
- 東京太・ゆめ子
- 玉川カルテット
2014年(平成26年)10月第5回 チャリティー寄席(森のホール21)
- おしどり
- カントリーズ
- 青空麒麟児
- 川口ひろし
- 東京丸・京平
- 東京太・ゆめ子
このチャリティー寄席は、千駄堀在住の東京太・ゆめ子夫妻が、友人の芸人さんを集めて実施できました。特筆すべきことは、2011年(平成23年)3月11日に発生した「東日本大震災」被災者支援と銘打った第4回でした。大入り満員で、純益金160万円を生み出し、すべてを岩手県田野畑村診療所および障害者福祉施設・NPO法人「ハックの家」に直接届けて喜ばれました。また実際に現場に行き、途中では、大きな船が畑の真ん中に乗り上げているなどを見て被害の大きさに驚きました。
2009年(平成21年)花組加入 玄関の花壇の手入れ、年2回の植えかえ
新病院に移転後は、花壇がないために解散し、会員は他のグループに移る。
2012年(平成24年)篠原会長が逝去され、藤塚が会長に就任。
2015年(平成27年)飯田哲先生(現総合医療センター副院長)が副代表に就任
2017年(平成29年)12月、市立病院が千駄堀に新築移転
松戸市総合医療センターになり、当会も名前を変更しました。移転に際して、総務課の協力のもとに、当会全員で絵画の移動、展示を行いました。
2020年(令和2年)から始まったコロナ禍
絵画、子どもの本ネットワークは休止、断続的とはいえ活動できているのは外来案内グループ(松戸市弓道連盟の奥田が中心)のみです。
会員も高齢化し、再開、継続に当たって若い人材の新規加入が望まれます。皆さまのご協力をお願い致します。(以上敬称略)
2022年 松戸市総合医療センターボランティアの会 会長 藤塚光慶
