令和2年度夏季展「坂川・江戸川水景色」
更新日:2020年7月17日
開催期間 令和2年7月18日(土曜)から9月13日(日曜)
明治17年、徳川昭武は、戸定邸を建設し移り住みました。仲の良い親族や友人と多くの趣味を楽しむ中で、特に写真撮影に熱中しました。松戸の町や馬橋、小金のみならず、広く東葛の風景や地域住民の日常が切り取られた写真は、当時の自然環境や生活様式を伝える貴重な歴史資料でもあります。古写真を通して過去と現在を比較し、松戸の変遷をたどります。
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こちらは2015年の写真です
こちらは2015年の写真です
こちらは2015年の写真です
展示構成
坂川
坂川は、流山市から松戸市北部を通って江戸川へと流れこむ川です。工事を重ねて流れが調整され、昭和の中頃までは、農業用水、漁業など、流域に暮らす人たちの生活に深く関わっていました。
徳川昭武は、趣味のカメラで坂川の風景を数多く撮影しています。昭武が撮った写真からは、明治時代に松戸に暮らした人たちの生活と水辺の風景が、その場の雰囲気とともに伝わってきます。
写真が高価だった当時、日常生活を撮影することは珍しく、これらの写真は貴重な歴史資料になっています。
「古ケ崎十郎溜之釣魚」 1906年3月14日 徳川昭武撮影
徳川家の夏休み
昭武と家族は、どのように夏を過ごしたのでしょうか。子どもたちは、小学校に入る年齢になると両親と離れ、東京の本邸(小梅邸)へ移って生活していました。夏休みは、子どもたちにとって、親とずっと一緒にいられる大切な時間だったことでしょう。
昭武は家族を連れ、国内旅行を楽しみました。海や山、避暑地などへ泊まりがけで出かけています。旅行先でも、家族や親戚、地元の人、風景・・・興味をひいたものを記録するように写真におさめました。
「沼津在静浦海水浴御共ノ記念」 1908年8月 徳川昭武撮影
江戸川
江戸川は、東京と千葉の境界であると同時に、川に接する地域をつなぐ水路でもありました。鉄道が発達する以前、農作物や工場からの出荷品を運ぶために船が使われました。江戸川には多くの船が行き交い、交通・物流で大きな役割を果たしました。
戸定邸や庭園からは、松戸の街並みと江戸川、対岸の東京、遠くには富士山が見渡せます。昭武自身も松戸だけでなく、葛飾や小岩、市川などの水辺を散策し、撮影ポイントを探したようです。当時の江戸川流域の風景が写真からよみがえります。
「江戸川帆船(1)」 1908年7月 徳川昭武撮影
エピローグ ~水辺にまつわるエトセトラ~
奥山儀八郎氏、奥山義人氏の木版画は、昭和、平成の地域の風景をとらえています。また、写真を使った絵葉書は、製作された時代の情報を伝える資料にもなります。
徳川昭武の兄・慶喜の後を継いだ慶久は学生時代から絵を好み、水彩画のほか、家族にあてた手紙、葉書などにちょっとした絵を描いたりしています。
水辺をテーマにした作品へと視野を広げ、川と松戸を見つめます。