平成21年度から平成22年度まで
更新日:2013年11月25日
平成23年1月28日から6月17日まで
【通常展1】徳川昭武が歩んだ幕末・明治
今年、没後100年にあたる徳川昭武と兄慶喜にまつわる多種多様な資料を、1867年パリ万博、戸定邸で使われていた美術工芸品、共通の趣味であった写真などのコーナーに分けて展示します。
平成22年10月9日から12月26日まで
【企画展】古澤秀彌氏旧蔵資料受贈記念「徳川慶喜家 最後の家令」
古澤秀彌氏は明治13年に生まれ、同28年、徳川慶喜が当時住んでいた静岡・西草深邸で家丁見習として働き始めました。当初は、徳川宗家の職員として雇われ、慶喜が住む屋敷に配属されていたことになりますが、明治35年に慶喜が宗家から分家を許され、公爵を授けられて徳川慶喜家が成立した後は同家の職員として初代慶喜、2代慶久、3代慶光に仕え、昭和22年、現行憲法の施行により華族制度が廃止されるまで公爵家の家政を担当しました。この間、彼は異例とも言える出世を遂げ、大正5年に2代慶久の特別の抜擢により「家扶補」となり、3代慶光の時に「家令心得」にまで上りつめました。当時、家令は不在でしたので、同家の最高の役職についたことになります。幼少時から慶喜邸に住み、半世紀を超える間、徳川家のために尽くした彼に、歴代当主から、徳川家伝来の貴重な品々が渡されました。
今展は、古澤秀彌氏旧蔵資料を子息秀信氏から寄贈を受けたことを記念して開催しました。歴代当主と心を一つにして家政運営を支える存在でありながらも、これまでほとんど紹介されることがなかった家令の役割を氏の足跡を辿りながら考えてみました。
古澤秀彌氏
徳川慶喜
紅白花卉図徳川慶喜画
平成22年7月17日から9月26日まで
【夏期展】徳川昭武のみた明治のまつど
明治17年(1884年)、徳川昭武は戸定邸に移り住み、時々訪れた兄慶喜とともに狩猟・釣り・写真撮影など多彩な趣味の生活を楽しんでいました。この展示ては、昭武が撮影した松戸周辺の写真を中心に今からおよそ100年前、明治40年ごろの松戸の姿を紹介しました。
平成22年1月26日から6月20日まで
【通常展】徳川昭武が歩んだ幕末・明治
徳川昭武と兄慶喜についての多種多様な資料を、1867年パリ万博、戸定邸で使われていた美術工芸品、共通の趣味であった写真作品などのコーナーに分けて展示しました。
平成21年11月21日から12月23日まで
【千葉大学園芸学部創立100周年記念特別展】庭園の記憶 -与謝野晶子の「松戸の丘」と園芸学校の絵画-
1909(明治42)年、松戸に創設された千葉大学園芸学部は、今年創立100周年を迎えました。都市と深い関わりを持つ園芸と造園から、生命科学、環境科学に及ぶ分野の教育研究が続けられると共に、古くから、文化芸術を育む沃土ともなってきました。
戦前は「園芸学校」と呼ばれ、構内の美しい庭園や花卉園は東京近郊の景勝地として親しまれていました。花の時期には多くの人々で賑わい、画家たちも絵を描きに来ました。また歌人の与謝野晶子は、この地に咲き乱れるヒナゲシを見に訪れ、60首もの短歌を詠んでいます。
この展覧会では、松戸の園芸学校で生まれた文学・美術作品や、同校で教えた植物学者・牧野富太郎による植物画など、80点余りの作品・資料を一堂に展観します。庭園に眠っている記憶を呼び覚まし、私たちに残された先人の遺産を改めて味わおうとする試みです。
展示構成
1 与謝野晶子と「松戸の丘」:与謝野晶子、与謝野寛、西村伊作、徳永仁臣
2 与謝野夫妻と板倉鼎・須美子:板倉鼎、板倉須美子
3 描かれた園芸学校:堀江正章、石井柏亭、田中寅三、小堀進、浅山英一
4 先生の植物画:牧野富太郎
5 園芸学校関連資料:湯浅四郎、森歓之助
平成21年10月16日から11月15日まで
【千葉大学園芸学部創立100周年記念園芸展示会】江戸時代の園芸文化史 -岩佐亮二コレクションを中心に-
- 千葉県立中央博物館所蔵の園芸学部・故岩佐亮二教授の浮世絵コレクションや園芸学部所蔵の貴重な歴史的園芸書を中心に展示します。
- また、園芸文化研究家・小笠原亮氏、山口安久氏所蔵の園芸図譜、江戸時代の化粧鉢、戸定歴史館の徳川昭武公の写真コレクション等も公開しました。
- 平成21年10月16日(金曜)に戸定歴史館に天皇・皇后両陛下が行幸啓になり、この展示会をご覧になられました。
平成21年7月18日から9月27日まで
【夏期展】徳川昭武のみた明治のまつど
徳川昭武が撮影した松戸市周辺の写真を展示しています。およそ100年前の農村風景や、そこで働く人びとの姿があざやかに写しとられています。
夏休み期間中なので、こどもたちが写っている写真をなるべくたくさん選んでみました。
平成21年5月19日から7月5日まで
【通常展I】徳川昭武が歩んだ幕末・明治
徳川昭武と兄慶喜についての多種多様な資料を、1867年パリ万博、戸定邸で使われていた美術工芸品、共通の趣味であった写真作品などのコーナーに分けて展示しました。