私が好きな松戸の景観スポット第2弾(松戸地域)その1
更新日:2013年11月25日
松戸地域
江戸川の花畑
毎年、コスモスの時期を楽しみにしています。今年は、気候の影響で、開花の時期が少し遅れましたが、ボランティアの皆さんのお陰で、見事に一面の花畑になりました。
坂入 武男さん
江戸川の秋桜畑(江戸川・松戸フラワーライン)
秋空とピンク色の秋桜畑、そしてゆったりと流れる川面。土手の上では多くの人が散歩やサイクリングを楽しんでいます。草の上に座って秋の風を感じながら眺めているだけで満たされた気持ちになります。のんびりした、いい景色です。
堀田 敏雄さん
江戸川のコスモス畑
同じ日(10月23日)、同時刻(午後4時25分)の景色です。
コスモスが満開。土手には散歩やウォーキング、自転車・・・・・。
振り向けば岸辺にはススキ、そして雲の流れがキレイでした。
谷口 保雄さん
江戸川・松戸フラワーライン
春のレンゲ草、秋のコスモスは、多くのボランティアの愛情により育てられている。それに応えるように毎年見事な花をさかせる。
阿部 辰数さん
江戸川・松戸フラワーライン
毎年、秋の訪れと共に行きたくなる場所があります。
市民の憩いの場所として、コスモスの花が満開になる江戸川河川敷です。
景観も良く、心安らぐ好きな場所として末永く大事にして行きたい場所だと思います。
私が訪れた日は、野うさぎも遊んでいました。
河上 好さん
江戸川花火大会
夏の夜空を飾るスターマインと音に、しばしひと夏の暑さを忘れ、川面を渡る花火の熱狂に酔いしれました。
廿野 正樹さん
坂川献灯まつり
初め、灯篭の中に火が入っていないように見えたのですが、辺りが暗くなると、とてもきれいに輝いてきました。出店もあり、楽しいところです。
井上 与吉さん
「葵の里」の松龍寺 -重要文化財級の薬医門-
徳川将軍の御鹿狩で、十一代家斉、十二代家慶、のちに十五代となる一橋慶喜がくぐった松龍寺の薬医門は、宝暦年間(1751年~1764年)の遺例で、市内最古の山門。松戸の江戸時代の山門は、他には見かけない。
四脚門の前側の控柱を取り去り、本柱の円柱を少し前にずらした作例。木鼻、拳花、腰板など、250年の風雪によくたえている。
花輪 茂道さん
松龍寺の御成参道 -慶応二年の石碑-
慶応四年(1868年)四月十一日、前将軍徳川慶喜は、江戸城無血開場、将軍御成の松龍寺の門前、松戸宿本陣に宿泊した。これに先立つ一月十二日、江戸城に登城した新撰組の近藤勇、土方歳三は、大久保大和守剛、内藤隼人正義豊と改名し、徳川家臣となった。四月一日、新撰組227名は、金町松戸関所を通過し、松戸平潟の千檀家などに投宿、内藤は流山に移動した。
松龍寺御成参道の慶応二年の石碑は、維新の歴史を目撃していたであろう。
花輪 茂道さん
「御小休所」の松龍寺 -徳川家紋の鬼瓦-
徳川家康は、戦国時代の元亀三年(1572年)十二月二十二日、武田信玄との三方ヶ原の戦いで、乗馬を鉄砲で撃ち殺され、死を覚悟したとき、旗本の高木広正は、直ちに自分の乗馬を差し出し、家康を浜松城に逃がした。
家康は、恐怖のあまり脱糞したといわれている。その鞍は広正のものであった。
主君の命を救った父広正の追善供養に、次男の高木正次は、松龍寺を創建。神君ゆかりの松龍寺は、徳川将軍御鹿狩の御小休所として幕命を受けた。山門、大屋根、鬼瓦などの三つ葉葵の徳川家紋は、その由縁である。
花輪 茂道さん