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松戸市立博物館
感動体験博物館
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2階案内図

案内図2階

総合展示

(11)人類の誕生

 今から500万年以上前にアフリカの類人猿の一部が進化の系統を2つに分け、一方はチンパンジーなどになり、もう一方は私たち人類へと進化したと言われています。その進化の段階を4つに分けた場合、最古の人類は「猿人」、次に「原人」・「旧人」、最後の段階を「新人」と呼んでいます。私たち現代人も「新人」です。
 考古学では人類が石器を製作、使用しはじめた約250万年前から約1万3000年前までを旧石器時代とよび、この時代の遺跡から発見された石器の作り方や形、地層の年代などによって前期・中期・後期の3段階に区分しています。日本でこれまでに発見された旧石器時代の遺跡は後期旧石器時代(新人段階)のものですが、今後の調査・研究によっては中期段階の遺跡が発見される可能性も考えられています。
 ここでは「松戸のあけぼの」をテーマとし、市内で見つかった石器から当時の様子を紹介しています。

(12)狩りと採集のムラ

 今から約1万3千年前、日本列島では旧石器時代が終わりを告げ、縄文時代が始まりました。気候の温暖化と土器・弓矢をはじめとする発明や技術革新によって、狩りと採集は高度化・集約化します。その結果可能になった安定的な食料供給に支えられて、人々は定住しやがてムラを営むようになりました。縄文時代は土器の形や文様の変化を物差しにして、草創期・早期・前期・中期・後期・晩期の6期に区分されています。
 ここでは「縄文人のくらし」、「ムラのうつりかわり」「人々の交流」の3つのテーマで紹介しています。

(13)稲作社会の誕生

 2300年ほど前に、水稲耕作に基礎をおく農耕文化が日本列島に到来しました。これは、それまでの狩猟や採集を生活の基礎とする縄文文化とは異なり、土地を耕して食料を生産する新しい暮らしの始まりでした。こうして生産された余りの食料などが貧富の差を産みだし、支配・被支配の関係にも発展していきました。その中の特に有力な人々は、1700年ほど前から古墳と呼ばれる巨大な墓を作り始めます。
 ここでは、「米づくりのくらし」、「古墳の出現」の2つのテーマで、約1000年間の弥生時代から古墳時代への移り変わりを取り上げます。

(14)下総国のはじまり

華やかな平城京の文化は、すべての土地・人民を天皇の下に集める公地公民制を基礎とした律令制度による全国支配に裏付けられたものでした。大宝元年(701年)に制定された「大宝律令」では全国を国・郡・里という行政単位に分け、国司・郡司・里長によってそれぞれを統括させました。この当時、松戸周辺は下総国の西端に位置する葛飾郡に含まれていました。
 ここでは、「古代の松戸」をテーマとして、主に松戸市内で見つかった古代の資料などを紹介しています。

(15)武士と民衆

源頼朝から織田信長、12世紀の末から16世紀の後半までのおよそ400年間を中世と呼びます。松戸でも支配者として武士が登場する一方で、庶民がさまざまな資料をとおして歴史の表舞台へと現れてきます。
 ここでは、「千葉氏と高城氏(たかぎし)」、「中世人の生と死」の2つのテーマで展示してあります。

(16)町場と村

豊臣秀吉の天下統一、つづいて徳川幕府の成立により近世社会に入ったころの松戸市域は、ほとんどが農村でした。幕末でも松戸宿・小金宿が町場として栄えたほかは、53の村に分かれたままでした。
 ここでは、松戸市域の近世の歴史を「近世の村」、「宿場と河岸」、「小金牧と御鹿狩(おししがり)」の3つのテーマで展示してあります。

(17)都市へのあゆみ

明治を迎えた松戸は、廃藩置県で葛飾県、後に印旛県を経て千葉県に属し、政府の文明開化政策により近代化の道をあゆみます。この時代の松戸町には郡役所をはじめ郵便局・警察署・裁判所がおかれ、東葛飾郡の行政の中心地として発展しました。現在の常磐線が開通し、松戸・金町間に葛飾橋が架けられるなど、陸上交通の近代化を迎えて、松戸は東京と直結します。つづいて現在の流鉄や東武野田線の開通、上野・松戸間の常磐線の電化など、市域の町や村はしだいに変化を遂げてゆきます。昭和に入った日本は、日中戦争、太平洋戦争とつづく苦しみに満ちた長い戦争の時代を迎えました。中国大陸から太平洋地域にまで広がった戦火は、多くの人的損害を出し、国内でも物資の統制など厳しい生活を強いられました。戦争末期には空襲による被害が市域にも及びました。
 旧小金町の編入、新京成線の開通などを経て、昭和30年代の松戸市は大きな転機を迎えます。4800戸を超える常盤平団地の誕生です。以後、人口は増加の一途をたどり、首都圏の大規模な住宅都市へと変貌します。
 ここでは、「まつど1868-1960」、「下谷・谷津・台」、「常盤平団地の誕生」の3つのテーマで展示しています。

主題展示

(18)考古学と科学の眼

4000年前の縄文時代に存在した森は、どのようにして復元されたのでしょうか。なぜ縄文時代の海岸線が今よりずっと内陸に入り込んだことがわかるのでしょうか。また、文字などが無かったはるか昔の年代をどのようにして知ることができるのでしょうか。実は、このようなことは、考古学的な方法だけでは完全にしることはできません。関連するさまざまな分野の学問、特に自然科学的な手法によってより細かく具体的な過去の様子がわかってきており、この博物館の総合展示で示した多くの事柄も、このような自然科学的な方法の成果を多く取り入れています。
 ここでは「年代を測定する」、「環境を復元する」の2つのテーマで展示しています。

(19)虚無僧寺一月寺

 江戸時代の小金宿(現在の松戸市小金)には、一月寺という変わった名前の虚無僧寺院がありました。虚無僧寺一月寺は、青梅鈴法寺とともに、普化宗(ふけしゅう)総本山として全国に知られていました。正確には、「普化宗触頭」あるいは「普化禅宗惣本寺」といいました。
 普化宗は、中国唐代の普化禅師を宗祖とする禅宗の一派で、その僧侶を虚無僧といいます。しかし、明治4年(1871年)政府の普化宗廃止令により、普化宗総本山一月寺の歴史は閉じられました。
 ここでは、主に虚無僧や一月寺、尺八の歴史について紹介しています。

(20)二十世紀梨の誕生

 秋の果物の代表に「ナシ」があります。その代表品種の「二十世紀梨」は、松戸市が誕生の地です。市内にある地名「二十世紀が丘」は、その歴史を伝えるために付けられました。
 ここでは、二十世紀梨の歴史を「ニホンナシの歴史」、「松戸生まれのニ十世紀梨」、「現代の梨づくり」の3つのテーマで展示してあります。

(21)三匹獅子舞

日本やその周辺の東アジアでは、シシ(獅子)が登場する芸能の存在が知られていますが、一口にシシといっても、頭の形・演じ方ともにさまざまな違いがあります。松戸市内でも3地区で獅子舞が演じられていますが、これはひと組の踊り手が3人からなる「三匹獅子舞(さんびきししまい)」と呼ばれるものです。ここでは「三匹獅子舞の成立」という論文に示された、芸能史家・山路興造氏の所説をトレースしながら、三匹獅子舞の系譜と地域的広がりについて、映像を通してみていきましょう。

お問い合わせ

生涯学習部 博物館
千葉県松戸市千駄堀671番地
電話番号:047-384-8181 FAX:047-384-8194

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