戸定が丘歴史公園の紹介
更新日:2023年7月13日
戸定(とじょう)とは古く中世の城郭に起源を持つ地名です。この地には明治17年に水戸藩最後の藩主であった徳川昭武(あきたけ)の別邸戸定邸が営まれ、松戸徳川家の住まいとなりました。現在、戸定邸を含む旧松戸徳川家の敷地は戸定が丘歴史公園として整備されています。平成17年に「関東の富士見百景」、平成19年に「日本の歴史公園100選」に選ばれました。
背景
戸定邸の庭園は、戸定邸の客間の南に面し、広くゆるやかな起伏を持つ芝生につつじの丸い刈り込みを配し、樹木がそれを取り囲むといった洋風を取り入れた庭園です。現在では良く見かけられる芝生の庭も、この庭園が造園された明治17年頃には洋風の趣味を生かしたハイカラなものでした。
明治の初期から中期にかけての洋風庭園は、造園例があまり良く知られていない事もあって審らかではない点も多いのですが、戸定邸庭園は造園年代がはっきりしている事と、明治22年に写された写真と現状との比較から造園当時の状態を今も良く保っている事が確認されています。これらのことから戸定邸庭園は洋風庭園の遺存例としてはごく早い時期に属するもので、明治20年代以降に盛んになる和洋折衷様式の庭園の先駆けをなすものと考えられています。
広さに関するデータ
公園面積
約3.0ヘクタール(30,289,69平方メートル)
施設内容
戸定邸庭園
約 4,400平方メートル
前庭
約 310平方メートル
芝生広場
約 1,600平方メートル(花木苑含む)
主園路
約 175平方メートル
徳川の小径
約 130平方メートル
散歩道
約 300平方メートル
竹林
約 1,200平方メートル
駐車場等
約4,788平方メートル