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通常展「プリンス・トクガワと松戸」開催中

更新日:2024年1月27日

徳川昭武が大切にしていた品を大公開!

 戸定邸は、徳川昭武が家族と暮らした邸宅であり、かつ「おもてなし」の場でもありました。
 四季折々の装飾や調度、祝い事や催し物によって戸定邸と庭園は様々な姿を見せ、地域の方々にとっても戸定邸は特別な存在だったでしょう。
 収蔵資料の中から、徳川昭武が大切に手元に残した品、大切なお客様だけに見せた品などを選んでご紹介します。時期によって、展示する品は変わっていきますので、お見逃しなく。
 徳川昭武の人生、松戸のつながりにも改めて目を向け、21世紀の今も地元に根付く存在となった戸定邸、松戸の在りし日を振り返る展覧会です。

会期

令和6年1月27日(土曜)から令和6年5月6日(月曜・祝日)
※資料保護のため、一部展示品の入れ替えを行います。また、会期中に展示スペースを変更します。

展示資料(1期・前半)

【章構成】

プリンス・トクガワー公に生きる

 水戸徳川家に生まれ、将軍慶喜の弟であった昭武は、10代から20代にかけての時間を、水戸藩や江戸幕府、近代化へと歩みを始めた国家に尽くして過ごしました。1867年、将軍名代としてパリ万国博覧会に参加しヨーロッパを歴訪したのは、13歳から14歳の時でした。さらに、23歳で1876年のフィラデルフィア万国博覧会に事務局の一員として参加し、万博終了後にはフランスを拠点にした4年半の留学生活で知識を深めました。2度の海外生活で築いたつながりは、その後の人生でも公私にわたって続いていきます。また、最後の藩主として藩内の混乱を収め、廃藩置県までのあいだ産業振興などに力を注ぎました。

戸定邸の暮らしー私人として生きる

 徳川昭武は29歳で水戸徳川家の当主を退き、翌年から生活拠点を戸定邸に移しました。戸定邸は、昭武と家族が暮らす私的な邸宅として位置づけられます。明治43年(1910)に亡くなるまでの26年間、昭武はここ松戸で銃猟、釣り、写真撮影、陶芸などの趣味を楽しむ後半生を過ごしました。戸定邸は、昭武と家族の生活の場として、同時に心安いもてなしの場として、皇族や親戚などさまざまな客人を迎えました。昭武と最も親しかった兄・慶喜は戸定邸を21回も訪れ、のべ50日間滞在しています。写真愛好家の親戚たちが撮影した写真から昭武が暮らした在りし日の戸定邸や松戸が浮かび上がります。

松戸とのつながりー自ら作る

 徳川昭武は、写真撮影や釣りなどの趣味を通じてよく松戸の町へ足を運びました。また、明治18年から31年まではほぼ毎年、東葛飾郡長、松戸警察署長、松戸町長などの要人たちを招き、食事会を開いています。歴代の松戸町長、松戸警察署長、松戸駅長は、就任や年始の際に昭武に面会する慣例でした。徳川家の人々も、かかりつけの岡医院や小泉歯科医院、メインバンクの川崎銀行松戸支店、氏子だった松戸神社、出入りの商家などを通じて地域と交流を持ち、松戸の人々も戸定が丘に暮らす徳川家を「水戸様」と親しむようになっていきます。昭武の息子・武定も、松戸の発展のため多くの支援を続け、昭和26年(1951)、戸定邸を松戸市に寄付するまでの関係が築かれていったのです。

お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 戸定歴史館

千葉県松戸市松戸714番地の1
電話番号:047-362-2050 FAX:047-361-0056

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