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通常展 プリンス・トクガワー松戸徳川家の調度品ー

更新日:2020年5月29日

開催期間

令和2年2月1日(土曜)から6月21日(日曜)まで
※当初、予定されていました3月の展示替えは行わず、「源氏物語図屏風」(6曲1双・表面)を6月21日の最終日まで展示します。
通常展で展示した品を、夏季展でも一部展示する予定です(詳細は決まり次第、お知らせします)。


展示概要

 明治25(1892)年、徳川昭武の跡継ぎ・武定が子爵になり、松戸徳川家が創られます。その後、本家である水戸徳川家から数々の美術工芸品や調度品が譲渡されました。同家に伝わる品々の中から、これまで公開する機会が少なかったものを中心に展示します。松戸に暮らした徳川昭武一家の生活を紹介する展覧会です。

展示詳細

第1章 時代と感性

 徳川昭武は、水戸藩主・徳川斉昭の18男として水戸徳川家に生まれ、将軍の後継者候補として清水徳川家を継ぎました。どちらの家も将軍家の一族として、特に身分の高い家柄です。昭武は子供の頃から御殿で一流品に囲まれて育ち、中国の古典など高度な教育を受けました。
 その素養の上に、13歳でヨーロッパに滞在した経験、2度の留学で身に付いた西洋文化が加わることで、昭武しか持ちえないセンスが生まれたと考えられます。昭武は29歳で水戸徳川家当主を退き、隠居して戸定邸に暮らすようになりました。戸定邸は和風建築ですが、調度(インテリア)には、写真や陶芸、西洋から持ち帰った品物など昭武の趣味が色濃く反映されています。

第2章 松戸徳川家の誕生

 徳川昭武は、江戸幕府の将軍後継者候補であったことから、明治時代、政治的に微妙な立場に置かれていました。明治25(1892)年、昭武の息子・武定が子爵を授かりますが、この時、武定本人はまだ3歳でした。この授爵にあたって、武定は水戸徳川家から分家し松戸徳川家が創られました。爵位は当主に与えられるのが慣例です。昭武は水戸徳川家の先代(隠居)という立場にあり爵位をもらう条件に該当しません。そのため、戸定邸の主は昭武なのですが、松戸徳川家の初代は武定、ということになるのです。
 明治43(1910)年に昭武が死去したことで、翌年、水戸徳川家から経済的に完全に独立しました。武定は名実ともに戸定邸の主となったのです。大正3(1914)年、水戸徳川家から、屏風、食器類、文房具、美術工芸品といった数々の調度品を「御譲品(おゆずりひん)」として受けることになりました。

第3章 大名華族の暮らし

 明治時代、元々大名だった家柄の人たちの多くが華族になり、上流階級として生活していました。こうした「大名華族」の暮らしはどのようなものだったのでしょうか。 
 松戸徳川家伝来品の中には海外の貴人、著名人ゆかりの品があります。元フランス皇后・ウージェニーから昭武に銀製の煙草入れが贈られ、また中国の軍人政治家である李鴻章や朝鮮国王の父・大院君の書画も伝わっています。
 一方で皇室から賜った品も少なくなく、徳川宗家邸へ行幸啓が行われた際に昭武が拝領した盃、武定が昭憲皇太后から拝領した硯、武定の妻・繍子が伏見宮博恭王妃経子の遺品として譲られた手箱などがあります。
 これらの品々は昭武の人脈、徳川家の地位や姻戚関係によってもたらされた特別なものですが、武定は海軍に所属し、第二次大戦後は防衛庁や民間企業の技術顧問として勤務しました。松戸徳川家の生活は上質ですが華美なものではなく、拝領品や贈り物を大切に扱っていたことが推察されます。

コラム:松戸徳川家の食器

 紅茶茶碗、コーヒーカップ、ブドウ酒用グラス…
 これらの食器は、松戸徳川家より寄贈された品です。
 徳川昭武はフランス・パリで暮らした経験があり、西洋の生活スタイルに慣れていました。お花見ではビールとお寿司をふるまい、兄・慶喜にはお手製のアイスクリーム(レシピ)を教え、コーヒーも好んでいました。
 陶製のナプキンリングもあり、時には西洋料理も食べていました。昭武の3女・直子は、狩猟で捕った小鳥の料理を食べたことがあると回想しています。
 昭武一家の日々の食事はほとんど記録に残っていませんが、当時としては「ハイカラ」な食生活をしていたと考えられます。

エピローグ:松戸のお殿様 地域との繋がり

 徳川武定は父・昭武が後半生を過ごした戸定邸を松戸徳川家の本邸として大切に維持してきました。戸定邸の暮らしの中で、松戸や近隣から女中を採用したり、植木屋や商店が出入りしたりといった地元との関わりが日常的にあったのです。

 武定は昭和26(1952)年、戸定邸と敷地を松戸市に寄付しました。この時、寄付された敷地の大部分が現在、戸定が丘歴史公園として整備・公開されています。市に所有権が移った後も、武定は亡くなるまで戸定邸で暮らし、戸定が丘は、地元の方に「水戸様」、「徳川様」と呼ばれてきました。武定も地元の方に贈り物をするなど地域と親しい交流が続きました。
 戸定歴史館では地元の方から武定の旧蔵品を寄贈していただく機会に恵まれました。武定の半生と共に寄贈品の一部をご紹介します。

お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 戸定歴史館

千葉県松戸市松戸714番地の1
電話番号:047-362-2050 FAX:047-361-0056

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