このページの先頭です
サイトメニューここから
このページの本文へ移動
松戸市立博物館
感動体験博物館
  • HOME
  • 利用案内
  • 展示案内
  • 催し物
  • 館内施設
  • 音声読み上げ・文字拡大
サイトメニューここまで

館長室から(最新)

上にモノ申す江戸の百姓たち・続(2024年2月11日)

前回の「館長室から」では、天保(てんぽう)3年(1832)に、土屋家の家臣・須藤(すどう)太郎(たろう)が、武士とは思えない低姿勢で、領地の村々に借金を申し込んだところまでお話ししました。
 ですが、村人たちも、低姿勢で頼まれたからといって、おいそれと出金できるほど(ふところ)が豊かではありません。そこで、天保3年12月に、土屋家の領地7か村の村人たちは、土屋家に財政改革の提案を行ないました。土屋家の赤字財政が続くかぎり、土屋家から村人たちへの借金依頼もなくなりません。土屋家の財政再建という抜本的な改革が必要でした。しかし、土屋家の側でそれを行なうようすがないので、しびれを切らした村々の側が具体案を出したのです。村人たちは、土屋家の年間の支出額に上限枠を設けるとともに、同家江戸屋敷の敷地内の空き地や長屋を人に貸して借地・借家料を取ることを提案しました。倹約して支出を減らすとともに、少しでも収入を増やして、収支のバランスをとるよう求めたのです。
 けれども、土屋家にすれば、こうした身を切る改革はできればやりたくないので、なかなか村人たちの提案を受け入れようとはしませんでした。そこで、次の手として、村人たちは駕籠訴(かごそ)という非常手段に出ました。駕籠訴とは、百姓が幕府の要人や大名・旗本家の当主に直接訴えることです。彼らが乗った駕籠の前に走り出て、訴状を差し出すのです。手順を踏んで担当役人に願い出ていてはらちが明かないときに、担当役人を飛び越して、直接殿様に訴えるわけです。駕籠訴はルールにはずれた違法行為ですが、厳しく処罰されることはありませんでした。
 土屋家領の村人たちは、天保4年2月に、土屋家の親類の旗本たちに駕籠訴を決行しました。土屋家の当主に言っても聞いてもらえないので、親類たちに訴えて、彼らから土屋家当主に意見してもらおうという作戦です。この作戦は成功し、同年3月には、土屋家と村人たちとの間で、土屋家の年間の支出額に上限枠を設けることで合意が成立しました。村人たちの要求が通り、領主の財政に枠をはめることに成功したのです。
 それだけではありません。以後は、土屋家の財政を、領地村々の村役人(名主など村の代表者)たちが管理することになりました。本来、領主は、領地の村々から納められる年貢のうちから、生活費や家臣の給料などを支出していました。年貢の使い道はすべて領主が決めており、百姓は自分たちが納めた年貢の使途には口を出せなかったのです。
 それが、天保4年からは大きく変わりました。土屋家が、必要な金をその都度村役人に請求して渡してもらうことになったのです。たとえば、衣服が買いたいときは、土屋家が村役人に購入費用を渡してもらうのです。そして、年末に村々から土屋家への年間の支出額を合計して、それと村々から納めるべき年貢額とを相殺して精算するわけです。このようなかたちで、村役人たちが土屋家の財政を管理し、年貢の使途をチェックするようになりました。土屋家の家臣たちの給料まで、村役人たちから渡しています。あたかも、村人たちが家臣を雇っているようなかたちになったのです。ここには、武士が百姓を支配して、強圧的に年貢を搾り取るといった姿はまったくみられません。
 ただし、土屋家の側も、このまま黙って引き下がってはいませんでした。武士と百姓のせめぎあいの結末は、次回お話ししましょう。(続く)

過去の記事

お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 博物館

千葉県松戸市千駄堀671番地
電話番号:047-384-8181 FAX:047-384-8194

本文ここまで

サブナビゲーションここから

お気に入り

編集

サブナビゲーションここまで

以下フッターです。
〒270-2252 千葉県松戸市千駄堀671番地
Copyright © Matsudo City, All rights reserved.
フッターここまでこのページのトップに戻る