水とみどりと歴史の回廊マップ(小金北地区)~Part1~
更新日:2013年11月25日
1.熊耳山 慶林寺(ゆうじさん けいりんじ)
曹洞宗の寺院で、本尊は大福薬師瑠璃光如来。戦国時代の永禄8年(1565年)に高城胤吉が没すると、その妻[千葉昌胤(まさたね)の妹]は出家して月庵桂林尼(げつあんけいりんに)と号し、小金城東側の達磨堂の南に庵を建立しました。翌年、桂林尼は大往生を遂げ、その子、高城胤辰(たねとき)が母の冥福を祈って桂林寺を建立しました。なお、境内の墓石は、江戸時代に高城清胤(きよたね)が建立したものです。
天正19年(1591年)には、徳川家康から朱印地十石を寄進され、北条方であった高城氏ゆかりの寺から脱皮して慶林寺と号するようになりました。
境内には、小金牧の野馬奉行の綿貫氏の墓所もあります。
慶林寺
桂林尼の墓所
2.達磨口
小金城には、大手口、達磨口、金杉口、大谷口の4箇所に虎口(こぐち)があり、達磨口の高所には、殿平賀に通じる回転式の木橋が架けられていたと言われています。
達磨口の名の由来は、慶林寺の前身となる高城胤吉の妻の桂林尼(けいりんに)が建立した庵に、達磨大師の掛け軸がかかげてあったことから、この名になったという説があります。
※虎口:出入り口
3.遠矢山 普門寺 大勝院(とうやさん ふもんじ だいしょういん)
真言宗豊山派の寺院で、本尊は十一面観世音。当初、根木内に文明12年(1480年)の開基とも、永正3年(1506年)の創建とも伝えられていますが、高城氏の小金城築城の際に城北の鬼門の場所に移され、高城氏の護持祈祷所(ごじきとうしょ)として発展しました。
境内には、山桜や大イチョウがあります。
(注:境内に入るには事前許可が必要になります。)
4.大谷口歴史公園(小金城跡)
小金城は、享禄3年(1530年)に城主の高城胤吉(たねよし)が築城を開始し、天文6年(1537年)に完成しました。城域は、東西が約850メートル、南北約650メートルに及び、戦国時代末期まで、東葛飾地域で最大規模の城郭を誇る城として機能しました。
天正18年(1590年)豊臣秀吉の小田原征伐の際に秀吉軍の浅野長政に城をかこまれましたが、小田原城にいた高城胤則の命令で戦わずして開城したと伝えられています。その後、秀吉の命で国替えとなった徳川家康は、江戸に近いところに城を置かせぬという方針で、文禄元年(1592年)に廃城となりました。
現在は、その一部が歴史公園として残され、空堀、土塁、畝堀などの遺構が残されています。
大谷口歴史公園(小金城跡)
空堀
5.金龍山 廣徳寺(きんりゅうざん こうとくじ)
曹洞宗の寺院で、本尊は釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)。当初、高城胤忠(たねただ)によって、寛正3年(1462年)栗ヶ沢に開基した高城氏の菩提所ですが、小金城築城の際に中金杉に移されました。境内の墓地には、高城氏一族の墓所(胤忠・胤広・胤吉・胤辰)と高城氏の重臣の墓所があります。境内には、トウヘンボクなど珍しい木もあります。
高城胤吉ほか一族の墓所
6.日照山 医王寺(にっしょうざん いおうじ)
真言宗豊山派の寺院で、本尊は不動明王。境内には、松戸七福神の毘沙門天を祀っています。また、庚申塔や元禄5年(1692年)及び明暦2年(1656年)の板碑等が立っているほか、松戸市指定の保護樹木モミジ・カヤの古木があります。
松戸七福神「毘沙門天」
PDF形式のファイルを開くには、Adobe Acrobat Reader DC(旧Adobe Reader)が必要です。
お持ちでない方は、Adobe社から無償でダウンロードできます。