板倉(昇) 須美子〔いたくら(のぼり)・すみこ〕1908年から1934年 洋画家
1908(明治41)年6月、東京に生まれる。父はロシア文学者昇曙夢。
1925(大正14)年、文化学院中学部卒業。洋画家の板倉鼎と結婚。
1926(大正15)年、鼎の留学に同行して、ハワイ経由で渡仏。
ハワイには約4か月滞在する。7月よりパリに住む。
1927(昭和2) 年、油絵を始める。ハワイの記憶をもとに《ベル・ホノルル》と題した作品等を描く。この年よりサロン・ドートンヌに3年連続入選。
1929(昭和4) 年、仏蘭西日本美術家協会展(パリ1回展)、ブリュッセル展に出品。
鼎の急逝により年末に帰国。
1931(昭和6) 年ごろ、実家に戻り、有島生馬について絵の勉強を再開する。
1932(昭和7) 年、結核のため病床に就く。
1933(昭和8) 年、二科会の若手画家を中心とする美術団体「新油絵」の結成に参加。
1934(昭和9) 年5月、没(享年25)。
