奥山儀八郎(おくやま・ぎはちろう)1907年から1981年 版画家
1907(明治40)年2月、山形県寒河江市に生まれる。
1928(昭和3) 年、第8回日本創作版画協会展に初入選。この年より1938(昭和13)年頃まで、東京・丸の内のニッケ(日本毛織)広告部で版画のポスター等を制作。ニッケのキャラクター「凸坊」を作る。
1929(昭和4) 年、「儀八・丸の内風景個人展」(日本毛織ショールーム内・NIKKE画廊)。
1931(昭和6) 年、河野鷹思、山名文夫らと東京広告美術協会を結成する。
1933(昭和8) 年、日本珈琲飲用史の研究に着手。
1934(昭和9) 年、広告版画個展(銀座・伊東屋)。東北地方の冷害による飢饉の義捐金募集のポスター「凶作地を救へ」を私費で制作。
1936(昭和11)年、浮世絵研究で名高い石井研堂に私淑。彼の指導により日本の伝統版画に開眼し、その復興を志す。
1941(昭和16)年、彫師、摺師との協同作業による伝統的木版画制作を開始。
1945(昭和20)年から1947(同27)年、日本版画研究所で浮世絵の復刻事業を行なう。
1954(昭和29)年、松戸市下矢切に自宅を構え、工房を開設。
1965(昭和40)年、伊藤左千夫の小説『野菊の墓』の文学碑建設(松戸市下矢切・西蓮寺)のため尽力。
1981(昭和56)年10月、没(享年74)。

《ニッカウヰスキー 現代酩士寸言集 (サトウハチロー)》 1958年
31.3×50.2cm ポスター(印刷)

《タンギー像(ゴッホ)》 1957年
47.1×37.3cm 木版画

《広告版画展》 1934年
73.5×25.2cm ポスター(木版画)

《ニッケ夏服地》 1937年
78.0×53.0cm ポスター(木版画)

《左傾直立》 1928年
46.0×57.5cm 木版画

《中元大売出 丸ビル商店連合会》 1929年
75.0×51.1cm ポスター(リノリウム版画)

《ハーフメイド白ズボン》 1930年
72.5×50.6cm ポスター(リノリウム版画)

《ニッケ丸ビル角日本毛織ショールーム》 1931年
51.9×75.5cm ポスター(木版画)

《帝国議事堂》 1941年
22.2×28.1cm 木版画

《暁の河口湖》 1948年
20.8×34.0cm 木版画

《豆明月》 1969年
36.2×49.0cm 木版画

《浅間牧場》 1969年
36.3×49.0cm 木版画

《早春矢切の渡し》 1976年
35.9×49.5cm 木版画

《化研霊安室 生と死と》 1955年
36.3×23.9cm 木版画

《野分》 制作年不明
21.8×45.7cm 木版画

《よろひばし》 1942年
21.7×32.6cm 木版画

《野沢町から 浅間山麓の農家》 1954年
36.6×24.1cm 木版画

《第十回黒船祭》 1949年
38.6×52.8cm 木版画

《能登新七尾八景 赤浦潟の夕照》 1943年
21.0×33.8cm 木版画

《ユーカリ樹とコアラベア》 1973年
46.2×21.8cm 木版画

《三田慶応義塾》 1942年
22.7×28.4cm 木版画

《丸ビル商店連合会 春の売出し》 制作年不明
54.5×79.3cm ポスター(木版画)

《ニッケ靴下》 制作年不明
75.3×51.0cm ポスター(リノリウム版画)

《Edogawa 江戸川松戸岸》 1956年
36.4×24.3cm 木版画

《房州の花》 制作年不明
21.7×45.4cm 木版画

《NIKKE背広服》 制作年不明
73.0×50.7cm リノリウム版画

《ニッカウヰスキー蒸溜工場》 1943年
20.9×33.8cm 木版画

《栗山水道塔》 1955年
36.5×24.1cm 木版画

《春の服地 メリヤス・靴下》 1929年
75.1×51.0cm リノリウム版画

《ニッケ背広とオーバー》 制作年不明
72.5×48.5cm リノリウム版画

《本邦に於ける本格的ウヰスキーの開宗たる竹鶴政孝先生之像》 1939年
36.0×24.4cm 木版画

《東京日本橋》 1942年
21.7×33.6cm 木版画

《矢切の渡し雪中》 1972年
36.2×49.0cm 木版画

《能登新七尾八景 和倉渡月橋より御便殿を拝す》 1943年
21.2×33.9cm 木版画

《ニッカウヰスキー貯蔵庫島 北海道余市町》 1943年
21.0×33.8cm 木版画

《能登新七尾八景 小丸山公園の櫻》 1943年
21.3×33.7cm 木版画

《ニッケ水泳着》 1931年
74.3×51.4cm リノリウム版画

《聖パウロ寺院 影》 1970年
36.1×48.9cm 木版画