主な出来事
更新日:2013年11月25日
松戸市が誕生するはるか以前から、人の営みは脈々と受け継がれています。ここでは、年号ごとの主な出来事を紹介します。懐かしさとともに、場所の歴史に思いを馳せてください。
大正時代以前
旧石器時代~古墳時代
- 松戸に人が住み始めたのは約3万年前、旧石器時代のことです。
- 縄文時代(1万3000年前から2300年前)には、台地の下まで海が入り込み、全国的にも有名な幸田(こうで)貝塚を始めとして、100を越える遺跡が確認されています。
- 弥生時代以降の遺跡は少なく、古墳時代には河原塚古墳などが築かれました。
平安時代
- 平安時代には、今の市川市国分付近に下総(しもうさ)国の国府が置かれ、ここから常陸(ひたち)へ向かう官道が松戸に通っていました。小野遺跡の「カタイ金具」は松戸が交通の要衝であったことを物語るものかもしれません。
- 更級日記の中では「まつさと」の名前で松戸が登場しています。
鎌倉時代
- 鎌倉時代の下総(しもうさ)国は、源頼朝の挙兵に功績があった千葉常胤(つねたね)が守護に任ぜられ、一族が各地に広まりました。
- 「アジサイ寺」で知られる長谷山本土寺(ちょうこくさん・ほんどじ)にある日蓮直筆の「諸人御返事(しょにんごへんじ)」と「大学三郎御書(だいがくさぶろうごしょ)」の二つの文書と、1278年製作で県内二番目に古い釣り鐘は、国の重要文化財に指定されています。また、武田信玄・勝頼に仕え、後に徳川家康に仕えた秋山虎康の墓(市内最古の墓石)と、その娘で、家康の側室となり家康の五男・武田信吉を生んだ秋山夫人の墓もあります。
- 馬橋にある臨済宗萬満寺(まんまんじ)も鎌倉文化の影響を受けた寺で、1254年に建立されたといわれています。国の重要文化財である「阿(あ)」「吽(うん)」の仁王(金剛力士)像があり、その作者は不詳ですが力強い彫刻には定評があります。
室町・戦国時代
- 戦国時代になると、千葉氏の一族から出た高城(たかぎ)氏が大谷口の小金城を築き、東葛飾地方一帯を支配していました。高城胤辰(たねとき)の代には、有名な「国府台(こうのだい)の合戦」(1564年)で活躍するなど繁栄しましたが、1590年の豊臣秀吉の関東攻めによって小金城は開城します。
- 胤辰の母は、夫の死後髪を下ろし、月庵桂林尼(げつあんけいりんに)と号し、小金城東側の鹿島神霊の横に庵を建立しました。庵は後に慶林寺となって今に伝わっています。
江戸時代
- 幕府が水戸街道を整備すると、松戸と小金は宿場町として繁栄します。現在の松戸郵便局の辺りには、大名の宿泊施設である本陣や脇本陣、一般人の宿である旅篭(はたご)が軒を並べていました。小金宿の旅篭「玉屋」は現存しており当時の様子を忍ばせます。
- 一方、松戸の江戸川沿いには河岸(かし)「河の港」ができ、銚子方面でとれた鮮魚を江戸まで運ぶ中継基地として発展しました。
- 常盤平・松飛台・五香六実の一帯は、小金牧と呼ばれた幕府直轄の放牧場でした。毎年3月には野馬捕りが行われ、良馬は幕府で使用し、他の馬は希望者に払い下げられました。幸谷(こうや)の福昌寺にある絵馬には、野馬捕りの様子が描かれています。
- 小金牧では、徳川将軍による御鹿(おしし)狩りが行われ、その様子を描いた錦絵も残っています。
明治時代
- 明治時代に入ると、旧水戸街道は国道になり補修・整備され、馬車・荷馬車などが往来し、交通量も増えていきました。江戸川の水運も盛んで、納屋河岸(なやがし)には多くの船が米や麦・酒・木炭などを集積し、松戸は交通の要衝として発展を続けました。
- また、東葛飾郡役所も松戸に置かれ、東葛地方の中心都市でもありました。
- 明治22年に町村制が施行され、松戸市域には松戸町・明(あきら)村・八柱(やばしら)村・馬橋(まばし)村・高木村・小金町が誕生しました。
- 明治29年には土浦-田端間の鉄道が開通、明治44年には松戸-金町間に橋が架けられ、人々の生活にも大きな影響を与えました。
- 明治43年には、松戸郵便局に電話が設置され、翌年から小金町・流山町・市川町など近隣の町と通話ができるようになりました。
- また、明治44年には、松戸町に待望の電灯がともりました。
大正時代
- 大正5年、馬橋-流山間に流山軽便鉄道が開通しました。また、タクシーやトラック輸送業者も登場し、自転車が普及するなど、交通や輸送手段も大きく変わりました。
- 大正8年には、相模台に陸軍工兵学校が開校しました。また、同年、松戸実科高等女学校(大正10年には松戸高等女学校と改称)が創立されました。
昭和時代
昭和初期
- 昭和2年、老朽化の激しかった葛飾橋が鉄橋に架け替えられました。道路の整備も進み、松戸-市川、松戸-金町、松戸-流山を結ぶバス路線が次々に開設され、人々の新たな足となりました。
- 昭和11年には、常磐線の上野-松戸間が電化され、上野と松戸は23分ほどで結ばれました。
~松戸市の誕生~
- 昭和8年には松戸町と明村が、さらに昭和13年には松戸町と八柱村が合併しました。市制施行への機運か高まり、昭和18年4月1日、松戸町と馬橋村、高木村が合併し、県下7番目の市として「松戸市」が誕生しました。当時の人口は、40,433人でした。
昭和20年代
- 終戦後の食料・衣料などの日常生活物資の不足からくる全国的なインフレ、また政治・社会体制の大きな変革の中で、誕生間もない松戸市の都市づくりは始まりました。
- 6・3制の新しい教育制度が発足し、中学校が次々に開校しました。
- 昭和24年には常磐線が取手まで電化され、昭和27年には競輪開催中の臨時駅として北松戸駅が開設されました(競輪場は昭和25年の開設)
- 戦後の混乱期もようやく抜け出した昭和29年、小金町と合併。人口も66,709人となり、その後の発展への足掛かりとなりました。
昭和30年代
- 昭和30年4月、新京成電鉄松戸-津田沼間(26.2キロメートル)が開通しました。
- 同年11月、日本住宅公団が金ケ作(かねがさく)地区に大規模な住宅団地の造成計画を発表。常盤平団地と名称も決まり、入居が始まったのは昭和35年4月でした。
- このころから松戸市は、人口急増の時代を迎えます。
- 新国道6号線の工事も始まり、松戸バイパスが昭和36年に開通しました。
- また、昭和35年には、北松戸と稔台に、昭和37年には松飛台に工業団地の造成が始まりました。
昭和40年代
- 小金原団地が造成されるなど、昭和40年代に入っても人口急増が続き、昭和43年には20万人、昭和48年には30万人を突破するという勢いでした。市では、学校建設、道路整備、環境衛生施設の整備などの対応に追われました。
- すぐやる課が誕生したのは、昭和44年。それまでの役所のイメージを変えるものとして注目され、松戸市の名が全国的に有名になりました。
- 昭和46年、オーストラリアのボックス・ヒル市(現ホワイトホース市)と姉妹都市提携し、交流が始まりました。
- 同年、常磐線が複々線化し、営団地下鉄千代田線と相互乗り入れ開始。また、昭和48年には武蔵野線新松戸-府中本町間が開通するなど交通網も充実しました。
昭和50・60年代
- 昭和50年代に入ると、ようやく人口の増加も落ち着き始めました。
- 激しかった人口急増の歪みを是正するため、計画的な都市づくりが推進され、小・中学校のプレハブ教室の解消、排水路の整備、市民センター・クリーンセンターの建設、松戸駅周辺の整備などが行われ、着々と近代都市へと変貌を遂げていきました。
- 人口も45万人を超え、首都圏有数の都市として発展を続けています。
平成時代
平成初期
- 戸定が丘歴史公園(平成3年)、21世紀の森と広場、市立博物館、森のホール21(平成5年)、和名ケ谷クリーンセンター(平成7年)、和名ケ谷スポーツセンター(平成8年)など、公園や施設がオープンしました。
- 平成3年には北総線(矢切~松飛台駅)が開通、平成10年には武蔵野線「東松戸駅」が開業し、交通アクセスがますます便利になりました。
- 市制施行50周年を迎えた平成5年には記念式典が行われ、これまでの歩みを振り返るとともに、新しい半世紀への一歩を踏み出しました。
- 消防訓練センター(平成元年)、大金平消防署(平成4年)、中央保健福祉センター・東松戸病院・梨香苑(平成5年)、八ケ崎消防署(平成8年)が開設・開署し、くらしの安全・安心が一段と充実しました。
- 平成9年に市のホームページを、翌平成10年には市長直通電子メールを開設し、市役所と市民の距離がさらに近くなるよう、要望に応えやすい環境を整備しました。
- 川をきれいにする条例(平成5年)・ごみ減らしリサイクル条例(平成6年)などの条例制定や、環境計画・緑の基本計画の策定(以上平成10年)など、環境配慮に向けた取り組みを強化しました。
平成10年代
- 平成13年にはすぐやる課の処理件数が10万件を達成し、名実ともに松戸市を代表する課であることを印象づけました。
- 平成14年からホワイトホース市との姉妹都市提携記念日となる5月12日をグリーンツリーデー(樹の日)としました。同年には「市の木(しい、ユーカリ、さくら、なし)」「市の花(つつじ、あじさい、のぎく)」「市の鳥(ふくろう、つばめ、しらさぎ)」を制定し、人と生き物との共生を前面に打ち出しました。
- 平成19年には花を通じた市民同士のふれあいの場となる「ゆいの花公園」が、東松戸に開園しました。さらに同年、坂川でアユが発見され環境改善策が効果的に進んでいることが証明されました。
- 戸定邸から眺める富士山が「関東の富士見百景」に選定(平成17年)されたのを皮切りに、戸定邸が国の重要文化財指定(平成18年)、戸定が丘歴史公園が日本歴史公園100選に選ばれるなど、全国的に知名度が高まりました。
- 平成15年に松戸駅構内に行政サービスセンターがオープンし、くらしの利便性が向上したほか、平成18年には夜間小児急病センターとシニア交流センターが開設し、すべての世代がくらしやすい街の実現に近づきました。
平成20年代
- 平成22年に松戸市出身の山崎直子宇宙飛行士が宇宙へ旅立ちました。松戸市では、帰還後に帰還歓迎パレードを行い、松戸市名誉市民の称号を贈りました。
- ゆめ半島千葉国体(平成22年)が開催され、松戸市では、自転車(トラック・レース)とフェンシングの2競技が開催されました。
- 平成23年3月11日に東日本大震災が発生しました。松戸市では、福島県からの避難者受け入れなどいち早く被災者支援に取り組みました。また、福島第一原子力発電所の事故を受け、松戸市放射能対策総合計画を策定(平成24年)し、主な生活空間などの除染を進めました。
- 民間団体が行った調査で、松戸市が2年連続で「子育て支援が盛んな自治体」の全国2位となり、子育てしやすい街としての評価が高まりました。
- 平成25年は、市制施行70周年を記念して「まつど宇宙と科学の日」をはじめ、さまざまなイベントを開催しています。
