東部地域の歴史
更新日:2016年8月8日
東部地域の地図
了修山本源寺
修山本源寺の外観
了修山本源寺は、本土寺の末寺で日蓮宗の寺院です。本尊は釈迦如来で、天正十年(1582年)織田・徳川連合軍による長篠の戦いの後、甲斐侵攻による甲斐武田氏滅亡の際に、その家臣だった穴山信友(秋山虎康の伯父)の子・穴山信君(梅雪)は、背いて徳川家康に帰属して、虎康の娘於都摩(おつま)(秋山夫人)を養女として家康の側室に仕えさせました。於都摩は、浜松城で、天正十一年(1583年)に家康の五男(信吉)を生みます。家康は、信吉に名門武田氏の家名を継がせて、小金の地に、家康の五男で満七歳になったばかりの信吉を三万石として配置しました。
修山本源寺の石柱
このとき旧武田の遺臣たちを家臣とさせたそうです。
秋山虎康は、下総葛飾郡荒谷(大橋)に居住し、慶長元年(1596年)に本源寺を創建しました。
穴山信友・信君は、戦国時代の武将で、武田信玄、武田勝頼の2代に仕えた武田二十四将といわれた重臣です。
胡録神社
胡録神社の外観
祭神は、面(おも)足(たるの)命(みこと)・惶(かしこ)根(ね)命(のみこと)です。隣接する日蓮宗了修山本源寺を創建した秋山虎康の氏神を大橋村の鎮守にしたと伝えられています。
松戸の三匹獅子舞が伝承されています。
日枝神社
日枝神社の外観
現在の祭神は、大山咋(おおやまくいの)神(かみ)ですが、神仏分離以前は、「山王権現」と称していました。和名ヶ谷村の鎮守として、大正二年(1913年)に村社に指定されました。
松戸の三匹獅子舞が伝承されています。
妙見山廣龍寺
廣龍寺は、室町期に日(にち)護(ご)上人(しょうにん)が開基した日蓮宗の寺院で、市川市にある中山法華経寺の末寺です。
本尊は妙見菩薩で、境内には、嘉永五年(1852年)銘の庚申塔をはじめ、多くの石塔が建っています。この庚申塔は、帝釈天を主尊とするものとしては、県内最古のものといわれています。
廣龍寺の外観
法華経寺の外観
妙見山廣龍寺の石塔
