地名の由来と歴史
更新日:2016年8月8日
地名
地名は、その土地に相応しい意味をもっています。その土地の地形や歴史、伝承に関連し名づけられている場合もあり、その由来を知ることで先人の知識を感じ取ることもできます。
根本・中根
- 出典は不明ですが、弘法大師が1本の木から薬師如来を刻んだ際、木の根本部分で作った像を安置した吉祥寺のある村を根本村、中間の木でつくったものを安置した東照院のある村が中根村になったという説があります。
栗山
- 日蓮宗本久寺の西に大木があり、夕日があたるとご来迎に見えたことから寺の山号を西木山としたそうです。そして、西木山の西と木をあわせて栗山になり地名としたと伝えられています。
上本郷
- 風早郷の中心(本郷)だったことから上本郷になったと伝えられています。
岩瀬
- 胡録台地区で発見された平安時代の大きな遺跡から、「石世」と墨書きされた土器が見つかりました。市内最古の地名かもしれません。
小金原
- 戦国時代(15世紀から16世紀)の小金城主高城氏の支配地「小金領」にちなんで、江戸時代に小金原と呼ばれた可能性が高いと考えられます。
大谷口
- 鎌倉時代の終わり(14世紀)には見られる地名です。谷の地形を指した地名と思われます。
牧の原
- 野馬の放牧場であったことに由来すると思われます。
陣ケ前
- 高木筑後守の陣屋があった南側を意味すると思われます。
二十世紀が丘
- 松戸覚之助が品種改良した二十世紀梨の名から付けられました。
松飛台
- 松戸飛行場(逓信省中央航空機乗員養成所)があったことから名付けられました。
常盤平
- 市民公募により、新京成電鉄に勤務する青木正次郎さんが応募された常盤平に決定しました。これにより鉄道駅も金ケ作駅から常盤平駅に改められました。
常盤平陣屋前
- 中野牧は現在の常盤平団地を中心に五香六実、松飛台、高塚新田、初富(鎌ケ谷市)に及びました。特に幕府は中野牧・下野牧産の馬を重視したため、江戸幕府の野馬奉行となった綿貫氏によって、「金ケ作陣屋」を設けさせました。この陣屋のあった場所が、さくら通りの八柱入口付近だったことにちなんで、この付近を「陣屋前」と名付けました。
小金きよしケ丘・小金清志町
- すぐやる課をつくって話題を呼んだ元市長の松本清氏にちなんで名付けられました。ただし、この名前が付けられたのは、松本氏が市長になる以前です。
道路元標
道路元標は、大正8年(1919年)施行の旧道路法により設置が定められていたため、市町村ごとの役場前か、市町村を通る主要な交差点に一箇所設置されていた。
当時の松戸市は、松戸町、小金町、馬橋村、高木村、八柱村、明村の六町村がありましたが、現行の道路法には設置義務がなくなったため、道路の拡幅工事などで、いつの間にかなくなってしまいました。市内に現存するものは、小金町のもののみです。
本土寺道標
平賀 本土寺道標
江戸時代後期の文化5年(1808年)「平賀 本土寺道 是ヨリ八丁」と、本土寺道を示す石標が建立しています。
本土寺の参道は、現在、鉄道により分断されていますが、かつては、水戸街道につながっていました。
