六実地域の歴史
更新日:2013年11月25日
六実地域の地図
野馬除土手
遺構として残る野馬除土手
下総台地は、古代より馬の放牧場が設置され放牧が行われていました。江戸幕府はこの地に直轄の小金牧を開設しました。野馬除土手は牧にいる馬が耕作地に出て畑を荒らさないように農民が築いた2m~3,5m程の土手で、江戸時代には総延長が160kmにも及んだそうです。現在は、道路整備や土地開発により分断されてしまいましたが、僅かに昔の遺構として残っています。
お立場跡
お立場跡に建つ碑
徳川将軍家は「
五香・六実
開墾百年記念碑
明治維新の結果、幕府直轄の小金牧・佐倉牧は新政府のものとなり、土地を与えて入植開墾させる計画をたてました。この事業は、東京の富裕な商人が出資して組織した下総開墾会社がおこないました。入植者は、旧武士、商人などの肉体労働には不向きな者で、関東ローム層のやせ地でなれない重労働だったため、生活はつらく厳しいものでした。そのため、この事業は明治5年に解散し、開墾地は出資者と入植者に分けられました。開墾地は、移住の順の数字と美称を組み合わせて、初富(鎌ヶ谷市)、二和・三咲(船橋市)・豊四季(柏市)・五香・六実・七栄(富里市)・八街(八街市)・九美上(香取市)・十倉(富里市)・十余一(白井市)・十余二(柏市)・十余三(成田市)という村名がつけられました。なお、五香には初富で不足した分の土地が分与され、これが初富飛地となりました。
たかお神社には、開墾100年を記念する碑が建てられています。
