
松戸地域の地図
江戸幕府が成立し、近世社会に入った頃の松戸村は、ほとんどが農村でした。松戸村に寺院が建立され始めるのは慶長14年(1609年)頃からで、松戸村七ヶ寺院がつぎつぎと建立されました。そして、松戸は江戸に近く水戸街道も通っていたことから、幕府の政策により天領とされ、幕府直轄領や旗本領となっていました。
また、江戸と水戸を結ぶ政治的な街道に幕府の交通施策による公的な宿として松戸宿が設置されました。松戸宿に入る手前の金町村岸には、「金町松戸関所」が置かれるなど、松戸は水上輸送の経由地として、また周辺の流通・経済の中心地として発展しました。今でも多くの寺社が往時を偲ばせてくれます。
親縁山来迎寺は、慶長14年(1609年)創建の浄土宗の寺院で小金東漸寺の末寺です。境内には松戸二十一ヶ所第十三番の大師堂や珍しい六角灯籠型六地蔵が祀られています。かつて平潟にあった妓楼九十九楼の墓が現存します。

来迎寺六地蔵

来迎寺の外観
六地蔵は、命は六道を転生するという「六道輪廻」の思想から、(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)の六道全てにおいて救済してくれる存在として信仰された地蔵です。

平潟神社外観
祭神は水を司る神の水波之女命です。境内に三峯、稲荷、八坂、秋葉各社を合祀しています。平潟神社は「水神社」として江戸川べりにあり、水運とも関わりのあった当地では信仰も篤かったといわれています。来迎寺と神社が斜に構える配置は大変珍しく、往時のたたずまいを感じることができます。

かつて平潟遊郭があった場所
江戸時代には江戸川水運で平潟河岸・納屋河岸がたいそう賑わい、平潟は食売女と称する女郎のいる旅籠が盛んな時には三十三軒も軒を並べていたそうです。近代においても戦前までは松戸の歓楽街としての性格をもちつづけてきました。
現在では往時を偲べる建物は残っていません。平潟道の名残を留める大きなしだれ柳が残っています。

西蓮寺の外観
光明山西蓮寺は、京都市の東本願寺の末寺として、文禄3年(1594年)に下矢切に創建された浄土真宗大谷派の寺院で、慶長18年(1613年)に現在地に移されました。本尊は阿弥陀如来で、現在の本堂は、嘉永4年(1851年)の再建と伝えられています。
西蓮寺の歴代住職は教育熱心で、江戸時代末期に、本堂で寺子屋を開き近隣子弟の教育に当たっていたと伝えられています。そして、明治6年には、近隣でいち早く同寺を仮校舎として松戸小学校(現中部小)が創立されました。境内には、教え子たちの手で高等小学校第二代校長「小林鎮一郎先生」の碑が建てられ、松戸の変遷を今も見守っています。
松戸山善照寺は、流山市(旧名都借村)の清瀧院の末寺として創建された真言宗豊山派の寺院です。当初、松戸字向山に所在し、慶長16年(1611年)に現在地に移したと言われています。
本堂の本尊は聖観音で、現在の不動堂は、文化6年(1809年)に焼失後、同8年に再建されたと伝えられています。境内には、松戸七福神の一つ「布袋尊」が祀られています。

善照寺の外観

松戸七福神「布袋尊」

宝光院の外観
宝光院は真言宗豊山派の寺院で、梅牛山と号し、本尊は不動明王です。明治まで宝光院の歴代住職は、別当として御嶽権現(松戸神社)の護持と管理に努めました。社殿を幕末期に造営した高城義海大僧正は、宝光院で出家し、後に東京の護国寺、奈良の総本山長谷寺や室生寺の住職を歴任した明治の高僧として著名です。
境内には、「四国八十八ヵ所御砂踏み霊場」の他、幕末三剣士の一人で、北辰一刀流を開いた千葉周作の実父 千葉忠左衛門(後に「浦山寿貞」と改名)の墓と、周作の剣の師である浅利又七郎の供養碑があります。若き日の周作は、宝光院の門前に住み、浅利道場で剣の修行に励んだと伝えられています。

浅利又七郎の供養碑

浦山寿貞の墓
広大山高樹院松龍寺は、元和元年(1615年)東漸寺末寺として創建された浄土宗の寺院で、元和7年(1621年)現在地へ移りました。本尊は阿弥陀如来で、境内には、松戸宿最初の旗本領主高木筑後守の五輪塔墓など松戸宿代々の名主の墓があります。
小金牧での御鹿狩では八代将軍吉宗など将軍休憩所となり寺勢を誇りましたが、再度の火災で寺を焼失し、山門のみ焼失を逃れ、往時の面影を残しています。
お鹿狩りは、八代吉宗の時に2回、十一代家斉、十二代家慶の各1回、計4回行われました。
武田信吉が文禄元年(1592年)に佐倉領へ転封後、松戸村五百石は旗本の高木広正と二男の正次の采地の一部として宛がわれました。広正は、早くから家康に仕え、元亀3年(1572年)の三方原合戦では、退却する家康の馬が銃弾で倒れ、すぐに自分の馬を差し出して助けたそうです。正次も豪傑の武士で秀忠、家光に仕えました。
寛永19年(1642年)に佐渡奉行で職を退いた後、慶安4年(1651年)77才で没するまでの十一年間、現在の戸定邸の地に館を構えて過ごしたようです。

松龍寺 山門

松龍寺 供養塔