松戸市の団地
更新日:2015年8月31日
小金原団地
小金原団地は、常盤平団地と同様に、昭和30年代からの首都近郊への人口集中による住宅不足を解消するため、当時の日本住宅公団により土地区画整理事業が行われた約230.5haの中に位置します。
当地域は、八ヶ崎、貝の花、栗ヶ沢などの遺跡が発見され、縄文時代から集落が形成されていました。中世には、高城氏の根木内城があり、近世には、小金ヶ原といわれた将軍のお狩場でもありました。
標高10mから30mの丘陵地からなる自然の地形が生かされ、多くの街路樹が成熟し、緑豊かな街並みが形成されています。
昭和44年から入居が始まり、現在では、居住者の高齢化などの課題を抱えていますが、夏祭りや運動会などが行われ大変賑わいます。
常盤平団地
常盤平団地は、昭和30年代の東京近郊における住宅不足を解消するため、当時の日本住宅公団により土地区画整理事業が行われた約169.3haの中に位置する日本初の大規模団地です。団地の名称は、市民に公募されましたが、その名付け親となったのは、当時新京成電鉄に勤務していた青木正治郎さんで、団地誕生の昭和35年には、駅名も「金ヶ作駅」から「常盤平駅」と変更されました。
常盤平団地の造成は、以降の人口が増加し、東京のベットタウンとして松戸市発展の大きな原動力となりました。また、当時、団地の入居者は、「団地族」と呼ばれ、世間に注目され、応募倍率も十倍から二十倍の高倍率となりました。
21世紀の森と広場にある松戸市立博物館には、三種の神器と呼ばれた白黒テレビ・電気冷蔵庫・電気洗濯機といった入居開始当時の生活用品などが展示され、暮らしの様子が復元されています。
常盤平団地は、まもなく50年を迎えようとしており、けやき通りや団地の緑は成熟し、緑豊かで風格のある街並みを形成しています。
