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PROJECT1867 1867年パリ万博150周年記念展・第1期

更新日:2017年4月10日

第1期 プリンス・トクガワと渋沢栄一

会期 3月18日(土曜)~6月25日(日曜)

 最後の将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に帰した1867年。その年の正月に、彼は弟・昭武を将軍名代としてパリ万博へ派遣しました。ヨーロッパの人々は次期将軍の有力候補を「プリンス・トクガワ」として迎え、昭武はナポレオン3世夫妻やロシア皇帝とオペラを観劇するなど、わが国最初の宮廷外交を行いました。
 随行した渋沢栄一は、経理や危機管理に卓越した手腕を発揮しました。後に経済人として活躍する渋沢の原点は万博にあったのです。
 本展では、2人にスポットライトを当て、明治維新の敗者の視点から万博を見つめます。初公開資料も見逃せません。

展覧会構成

0. プロローグ ふたりの出会い
 
1. パリ万国博覧会
 日本が初めて公式に参加した1867年パリ万国博覧会は、幕府の国際社会への本格的なデビューの場であり、同時に皇帝や国王たちが集い、国益を巡る様々な思惑が入り乱れる国際外交の最前線でもありました。日本の出品物はヨーロッパの人びとに強い影響を与え、ジャポニスム(日本趣味)の契機にもなりました。
2. 各国巡歴
 万国博覧会の主要行事終了後、昭武は条約を締結していたスイス、オランダ、ベルギー、イタリア、イギリスを歴訪し国王や大統領に謁見しました。次期将軍の有力候補であった昭武は、ヨーロッパにおける王族と同等の礼遇を受けました。国家の統治者同士の交流の第一歩でしたが、幕府の瓦解により、この歴史は忘れ去られてしまったのです。
3. 幕府瓦解 留学生活と帰国
  日本の指導者となるために、慶喜は昭武に留学を命じていました。授業内容はフランス語、射撃、乗馬、画学、歴史などでした。しかし、日本から鳥羽伏見の戦いでの旧幕府軍の敗戦・慶喜謹慎の知らせが届きました。昭武は亡国のプリンスとなったのです。渋沢栄一たちは、国内情勢を分析し、ついに昭武は明治政府からの命令を受け入れ、帰国を決意したのです。
4. エピローグ 生涯の絆
 昭武は万国博覧会での経験を語ることなく、牧場経営や植林、作庭などに打ち込み、56歳で世を去りました。一方、栄一は渡欧時に会社や銀行について学び、維新後、わが国の資本主義の父と言われる活躍をしました。沈黙と雄弁という点で両者は対称的でしたが、終生に渡る交流の根底には万博での共通体験がありました。

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お問い合わせ

生涯学習部 文化財保存活用課 戸定歴史館

千葉県松戸市松戸714番地の1
電話番号:047-362-2050 FAX:047-361-0056

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