坂川の歴史

 徳川家康が積極的に新田開発(1692年)を行ったことで、新松戸・旭町・栄町に新しい田(新田)ができた。
 逆川(現坂川)はそれらの新田に度々洪水を起こし、3年に1度収穫があればいい程であった。新田で堰を高くすると上流が洪水になり、そのための争いも起こった。
 1781年、上郷名主の渡辺庄左衛門(充房)が国府台下までの掘削を初めて幕府に請願した。
  1801年に幕府が視察に訪れたが、下郷7ヶ村(古ヶ崎・根本・小山・上矢切・中矢切・下矢切・栗山)が反対し、請願は保留となった。
 1812年に渡辺庄左衛門(充房)が死亡し、翌年、渡辺庄左衛門(寅)のときに一本橋から松戸宿までの新堀の掘削が開始された(ピンク区間)。しかし、洪水予防の効果はなく国府台下までの掘削の請願を繰り返したため下郷7ヶ村との軋轢は高まる一方であった。
 1833年、渡辺庄左衛門(睦)が国府台下までの掘削の測量を開始したが、下郷7ヶ村の村民が反対のため浅間山に立てこもり古ヶ崎村から測量に来た百姓に死者まででた。
 奉行所の調停により、1835年から国府台下までの掘削が開始された(赤区間)。洪水被害はやや収まった。
 1910年、樋野口に蒸気機関の排水機場が完成し、1932年(昭和7年)より新坂川の掘削が開始され、新坂川を「用水」に坂川を「排水」として機能するようになった。

出典:「新松戸郷土資料館」より

坂川改修の歴史図解


坂川の歴史的建造物

小山樋門橋(通称レンガ橋・めがね橋)
小山樋門橋(通称レンガ橋・めがね橋)

1898年(明治31年)、江戸川からの逆流防止のために建てられましたが、現在は坂川を渡る県道の橋として使われています。
 レンガ造りの構造物としては、千葉県でもっとも古い橋と言われています。

柳原水閘門完成当時
1904年(明治37年)

明治37年柳原水閘完成当時

現在の柳原水閘
2004年(平成16年)

2004年11月現在の柳原水閘門

 坂川は大雨が降ると江戸川の水が逆流し、坂川流域の水田に大きな被害をもたらしました。そのため、4ヶ町村(明村・馬橋村・小金町・流山村)による「坂川普通水利組合」が結成され、柳原水閘は1904年(明治37年)、井上二郎氏の設計で総工費18,914余円、工期6ヶ月で建設されました。


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