徳川昭武の生涯 小中学生のための歴史展示
会期
- 平成14年6月29日(土)から9月1日(日)
開館時間
- 午前10時から午後5時(入館は4時半まで)
徳川昭武は、いまから149年前、水戸に生まれました。名前のとおり、江戸幕府将軍の一族です。幕府の滅亡まで14年、アメリカ合衆国の使者・ペリーが黒船でやって来た年に当たります。
昭武は兄が将軍になったこともあり、将来を大いに期待され、大切に育てられました。ところが、江戸幕府滅亡から明治維新に至る激動の時代を、滅びゆく側の人間として生きることになるのです。
松戸の戸定は、昭武が住んだ土地です。戸定邸はそのお屋敷でした。若くして隠居した昭武の生きた証しが、そのまま残されている唯一の場所、それがここ、戸定といえましょう。
今回は、波瀾万丈の昭武の生涯を、わかりやすく、展示してみました。会場には、小中学生の方向けのワークシートも用意してあります。お楽しみいただければ幸いです。

1 幕末の動乱と昭武
後の戸定邸の主人・徳川昭武は、嘉永6年(1853)、9代目水戸藩主・徳川斉昭の18番目の男子として生まれました。
嘉永6年といえば、アメリカの使節・ペリーの艦隊が日本の開国を求めて浦賀沖(今の神奈川県)に姿を現した年です。この後、時代は幕末の動乱をへて、江戸幕府の滅亡、明治維新にいたります。水戸徳川家という将軍家を支える家に生まれ、後に将軍となる慶喜を兄に持った昭武は、時代の流れにいやおうなく巻き込まれたのです。
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![]() 禁門の変錦絵 (日本外史之内) 小林清親筆 明治15年2月 藤洋文庫蔵 |
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2 西洋との出会い
慶応3年(1867)、フランスと友好関係にあった幕府は、パリで開かれる万国博覧会(万博)に参加することになりました。万国博覧会とは、世界中から産業や文化に関する品物を集め、一般の人々に見てもらう催しです。
将軍の慶喜は、自分の代理として昭武をこの万博に出席させます。万博終了後も、昭武は慶喜の命令でフランスにとどまり、勉強に励(はげ)みました。次の将軍候補者として昭武は兄の期待を一身に背負っていたのです。
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3 幕府の滅亡と昭武の帰国
昭武がフランス滞在中、日本は大変な状況を迎えていました。慶喜が将軍を辞職し、政治の権限を天皇に返上したのです(大政奉還)。さらに、慶喜は天皇をかつぐ薩摩藩との戦争に敗れ、朝敵(天皇に反逆する者)にされてしまいます。
昭武が急ぎ帰国したとき、すでに慶喜は新政府に降伏していました。昭武は新政府から蝦夷地(今の北海道)で抵抗を続ける幕府家臣・榎本武揚の討伐を命じられます。ところが、榎本には首領として期待を寄せられてもいたのです。
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4 明治維新と昭武
明治維新は昭武の人生を大きく変えました。幕府の滅亡によって次の将軍候補者としての将来を失い、さらに明治4年(1871)の廃藩置県(はいはんちけん)では水戸藩の統治の権限までも失ったのです。
天皇を支える華族として明治という新しい時代を生きることとなった昭武は、陸軍勤務、フィラデルフィア万博(ばんぱく)の御用掛をへた後、2度目のフランス留学(りゅうがく)に旅立ちます。帰国後は麝香間祗候(決められた日に天皇を訪ねて質問に答えるという職)に任じられました。
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5 隠居後の日々
明治16年(1883)、妻を失った後、昭武は甥の篤敬に水戸徳川家を譲って隠居します。そして、翌年には母親の万里小路睦子(秋庭)とともに、ここ松戸へ移り住むことになるのです。
その後、昭武は斉藤八重と入籍し、男女6人の子をもうけます。そのうち次男の武定は、父の功績により子爵を授けられました。
また昭武は篤敬の死後、水戸徳川家を継いだ圀順の父親がわりとなり、自分の娘たちも水戸徳川家の子として育てました。
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6 趣味のライバル・慶喜と昭武
慶喜は新政府に降伏した後、静岡で隠居生活を送ります。このころの慶喜は趣味に熱中していました。昭武もたびたび兄を訪問し、一緒に狩猟を楽しんでいます。
明治30年(1897)に慶喜が東京に移住すると、2人はともに狩猟や撮影に出かけることが多くなります。兄弟であるとともに趣味のライバルでもあったのです。
それでは、2人の趣味の世界と、明治の風景をのぞいてみましょう。
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7 昭武の死
明治41年(1908)、釣りに出かけた昭武は帰りがけに血尿を出し、順天堂病院に入院します。腎臓の病気でした。幸いにも手術は成功し、その後の経過も順調で、病院内でもたくさんの写真を撮っています。
ところが、翌年末頃から体調を崩すことが多くなり、明治43年7月24日、ついに息をひきとります。55才でした。瑞龍山(今の茨城県ひたち常陸太田市)の水戸徳川家の墓地に葬られた昭武は、今もふるさと水戸を見守っているのです。
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