1867年パリ万博写真展

新発見の写真アルバムで、今回が初公開。
1867年パリ万博使節団一行の一員が記念品として持ち帰るため、フランスで製作させた使節団一行および幕府欧州留学生らの肖像写真アルバム。革製(16.2×12.5×5.7cm)、名刺判肖像写真40枚入り。肖像写真には将軍名代徳川昭武を初めとして、向山隼人正(全権公使)、山高石見守(昭武もりやく傅役)、渋沢栄一らの一行メンバーがほぼ網羅され、幕府欧州留学生の肖像も収められている。この他、ナポレオン三世、同后、同皇太子の3人が写っている写真も珍しい。
アルバム中には一般的には知名度の低い人物も含まれていることから、このアルバムの制作者は使節団一行の人物だと思われる。同種のアルバムは、この他に使節団の一員の子孫宅にも1冊が伝わっている。それに比べると、この写真アルバムは日本人の肖像が39枚と多い点に最大の特色があり、慶応3~4年当時の在欧幕府使節団員及び留学生のことを調べる上での基本資料に位置づけられる。彼らについては、名前だけで、肖像が明らかになっていない人も多い。
近年は、歴史研究の上で、写真などの画像資料の重要性が高まりつつあり、そう言った面からも、今後、さらに本アルバムの重要性も高まって行くものと思われる。
写真の人物は向かって右側が井坂泉太郎(水戸藩士・昭武付小姓)、左が横山主税(ちから)(会津藩士・留学生)。

1867年パリ万博写真展会場外観
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展覧会導入部。昭武肖像、昭武がパリで宿泊した当時の最高級ホテル・グランド・ホテル外観、昭武がナポレオン三世に将軍からの国書を手渡したテュルリー宮殿の写真など。 |
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兄の将軍慶喜の写真、昭武がヨーロッパで直接謁見した各国国王肖像や慶喜からスイス大統領への国書の写真。 |
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主会場である産業宮(約400×500メートル、天井は25メートルの高さ)内部の様子。この後に、産業宮を取り囲むように配置された屋外パピリオンの写真が展示されている。 |
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この時の万博には、わが国が初めて公式に参加した。写真は、手前から幕府出品の武者人形、琉球・薩摩の屋外パピリオン。その後の2枚はパリ万博の出品物に対する表彰式の様子。 |
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この万博が開催されていた時期は、わが国近代洋画の黎明期に当たる。幕府開成所からは油絵も出品された。日本人が描いた油絵が外国で展示された初めての機会だろう。鮮明な写真からは、当時の日本人の油絵の技量を知ることが出来る。 |
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表彰式の写真。ナポレオン三世主催のもと、2万人の参加者を集めて挙行された。幕府は最高賞であるグランプリメダル(大型の金メダル)を授与された。養蚕、工芸品、紙などが、高く評価されたのである。各国国王らが列席する演壇の左端には昭武の姿も見える。 |
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当時の写真は、現在の様に速い速度のシャッターを切ることが出来なかった。この写真は、10秒前後の露光時間で撮影されたものと思われる。従って、他の列席者の姿はぶれてしまっているが、昭武の姿だけはぶれることなく写されている。厳しい躾を受け、微動だにせずいた証拠と言えよう。さらに鮮明な展示中の写真からは、昭武が羽織りに錦の袴をはいていたことまで分かる。 |
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左側の覗きケースには新発見のパリ万博使節団一行らの肖像写真を集めたアルバムが展示されている。40枚の名刺版写真が収められているこのアルバムは、同様のものが他に1冊しかない、貴重なもので、慶応3年(1867)にヨーロッパにいた日本人のことを研究する上での基本資料と言えるだろう。後ろの壁面には、アルバムに収められた全写真がパネルにされて、展示されている。 |
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