最後の将軍 徳川慶喜使者の間・従者の間復原工事完成記念
会期:平成10年4月28日(火)から6月21日(日)まで
| 会場: | 戸定歴史館展示室 |
|---|---|
| 主催: | 松戸市・松戸市教育委員会 |
| 入館料: | 一般300(団体250)円 大学高校生200(団体150)円 小中学生100(団体80)円 |
| 入館時間: | 午前9時30分~午後5時(但し午後4時30分入館締切) |
| 休館日: | 月曜日 |
徳川慶喜の未公開資料を特別展示
嘉永6年(1853)7月8日の米国ペリー提督来航に端を発した日本の開国は幕藩体制の動揺と政局の混迷をもたらしました。その中で一躍脚光を浴びた人物が徳川慶喜です。慶喜は天保8年(1837)、徳川御三家のひとつ水戸徳川家に生まれ弘化4年(1847)、御三卿のひとつ一橋徳川家を相続しました。その後、慶喜は将軍後見職、禁裏御守衛総督・摂海防禦指揮をへて慶応2年(1866)12月5日、15代将軍に就任しました。
将軍となった慶喜は精力的に幕政改革を推し進めましたが、時すでに遅く幕府の権威は失墜し絶対君主である将軍の権力をもってしても体制を維持することは困難でした。そこで慶喜は幕府の存続より日本という国家を存続させるため政権を朝廷に一旦返上するという大政奉還を断行し政界再編を図りました。しかし反幕勢力の巻き返しにより慶喜は王政復古の大号令、鳥羽伏見の戦いで政治的軍事的敗北をきっし江戸に戻り謹慎の日々を送りましたが、江戸開城により水戸、そして静岡に居を移し歴史の表舞台から去ったのです。
維新後の慶喜は写真、製陶、釣、狩猟、囲碁等の趣味の世界に没頭して暮していましたが、徐々に名誉を回復していきました。そして慶喜は明治30年(1897)11月19日、東京巣鴨に居を移し翌年3月2日、明治天皇・皇后に謁見しました。さらに同35年(1902)6月3日、慶喜は公爵を受爵して新たに一家を成すことを許され名実ともにその名誉を回復し、大正2年(1913)11月22日、77年の波乱の人生を閉じました。
このたび松戸市戸定歴史館では明治維新130年周年、ならびに戸定邸使者の間復原事業の完了にあわせて徳川慶喜家、松戸徳川家の全面的ご協力のもと特別展「最後の将軍徳川慶喜」を開催します。この展覧会では慶喜の本邦初公開資料や遺品の数々を展示し、その知られざる維新後の生活を浮き彫りにしようとするものです。
特別展展示風景

展示室奥の様子。左側手前の覗きケースは維新後の慶喜の住まいの平面図。左奥は、慶喜肖像、慶喜自筆日記。突き当たりには、慶喜が死亡時にもらった勲章(勲一等旭日桐花大綬章)など。右側のケース内には慶喜の写真撮影記録や使ったカメラを展示。

ケース壁面には慶喜肖像、彼に授けられた勲記(勲章を授ける旨を記す文書)、ケース床面には慶喜自筆日記(明治31年からのもの)、家扶日記(慶喜の使用人の業務記録)、右端には慶喜の伝記である『徳川慶喜公伝』および木箱入りのその校正刷りが展示されている。
|
|



